津上俊哉 現代中国研究家・コンサルタント

寄稿論文

東アジアでFTA盛行 日中だけ『空白』は損
2003/06
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 東アジアに数年前まで思いもよらなかったFTA(自由貿易協定)の流行が起きている。FTAは国と国の間で関税など貿易障壁を相互撤廃して市場を統合する政策だ。障壁の撤廃によって双方で競争が活発化、淘汰が進むせいで、経済効率が上昇し、成長を促進するが、勝者も敗者も生まれる。なかなか厳しい政策だから、自由化が下手な東アジアでは進んでこなかった。

 しかし、日本が転機を作った。99年に韓国と共同研究を始め、これを見て反応したシンガポールとの間でFTA交渉を迅速に進めた(昨年1月締結)ことが流行に火を付けた。これを見て「仲間外れ」を憂えた中国が猛然と追走を始めた。アセアンにFTAを持ちかけ、思い切った譲歩を武器に昨年11月に基本協定調印に漕ぎ着けたのだ。
いつも大国の間でバランスを取ってきたアセアンが、日本を置いて中国とのFTAに踏み切った・・・今度は日本が危機感を強め、中国の後を追ってアセアンとの協議に入った。

 中国・アセアン間で関税が相互撤廃される流れに日本が取り残されれば何が起きるか・・・かつてメキシコに進出していた日系企業の運命が思い起こされる。メキシコが米国(NAFTA)、EUとFTAを結んだせいで欧米外資企業は本国からの部品・素材輸入が免税になった。日本の企業は関税分のハンディを背負って、多くが撤退を余儀なくされたのだ。
幸いアジアでは日本企業が各地に生産拠点を展開済みだ。もし、日本が取り残されれば免税で貿易ができる地域の工場に部品製造も組立も丸ごと移して生き残りを図るだろう。しかし、その結果は一層の空洞化・・・日本が危機感を強めるのは当然だ。
アセアン側でも、片や対日FTAで単騎先行したシンガポールに刺激され、片や対中FTAとのバランスを取るためにマレーシア、フィリッピン、そしてタイが日本と二国間のFTAの協議を始めた。三年前には思いも寄らなかった大進歩だ。
 しかし、日本には三つの大きな問題が残っている。
 第一は、言うまでもなく日本の農産物市場開放だ。FTAでは貿易量の10%までは例外留保が認められると言われるが、農産物が強いタイを始めアセアン諸国とのFTAを本当に枠の中でまとめられるか。先方は中国が見せた大譲歩を持ち出して日本をゆさぶるだろう。「国益と部分益の調整」という日本の苦手仕事が待っている。
 第二の問題は、日・アセアンFTAを結ぶとしても、残る日中間はどうするのか?だ。日中双方とFTAを結べばアセアンにとってはベスト、しかし、三角形の残る一辺、日中FTAが結べなければ、日中ともに不利益が残ってしまうのだ。
 日中FTA・・・理論的には日中が貿易障壁を相互撤廃すれば、産業の保護障壁が既に低い日本が得をするが、弱い産業の構造改革の痛みも特大、更に「中国経済脅威論」が示すように、日本人は中国との経済一体化からメリットを感じることができない。アセアンとのFTAはまだしも、中国とのFTAには腰を退く人が日本の多数派だ。おまけに双方の政治的不信感は依然根強い。日中がFTAを締結する日は簡単には来そうもない。
 第三、最大の問題はしかし、FTAなんか結ばなくても、中国との事実上の経済統合が否応なしに進んでいることにある。労働集約産業がこれほど急速に移転するのは、ヒト、モノ、カネの往来コストが劇的に削減されたお陰で、日中間に関税撤廃に匹敵する統合メリットが既に生じているからだ。SARSを経験した日本企業は今後国内、東南アジアへのリスク分散も意識するだろうが、長期的に見れば対中投資の趨勢は変わらないだろう。
 ところで日中経済の事実上の統合は本当に日本にメリットをもたらさないのだろうか? そうではなく、日本が1)メリットがあっても気がつかない、2)メリットはあるが取りに行ってない、3)メリットを取りたいが日本側の原因により取りに行けない、という三つの「ない」のせいで、メリット・デメリットの帳尻が大赤字になっているのだ。

 事実上の統合が止められないのなら、日本がもっとメリットを掴む努力をしないかぎり、帳尻の赤字は消せない。そういう努力の例を三つ挙げよう。
第一は外国直接投資吸収だ。ゴーン社長の日産改革成功を見て「外国投資はいいことだ」と思う日本人は増えてきたが、多くはまだ「外資=欧米企業のこと」だと思っている。しかし、アジアに目を転ずれば、台湾企業は既に新日鐵の半導体事業、日本IBMや富士通のTFT液晶事業を買収又は経営参加している。近く住友金属和歌山製鉄所にも資本参加する予定だ。
 企業買収による対日投資の流れは今後中国企業にも拡がっていく。既に民事再生に追い込まれた東京の中小印刷機メーカーを上海の国有企業が買収、企業再生させた例が生まれている。
 大企業の「選択と集中」で処分が決まった事業部門、資金繰りで行き詰まった中小企業など前途の暗い日本企業でも、アジア企業から見れば、技術、販路等の価値を持つものがたくさんある。企業再生のために、アジアの経営資源と活力を借りるべき時代なのだ。
 買収で派遣された中国人社長の下で働く・・・日本人は直ぐには気持ちの整理がつかないだろう。しかし、トヨタやホンダが欧米に工場を建設し始めた二十年ほど前、彼の地にも同様の戸惑いはあったはずだが、「雇用が大事」と割り切って日本企業を誘致した。日本人も気持ちの整理をつけるべき時ではないか。
 第二の例は外人観光客だ。政府は観光立国振興懇談会で、現状五百万人台の外人観光客を一千万人にすることを提言したが、念頭にある「外人観光客」は欧米人ではない。
 「エゴ・インベストメント」という言葉があるそうだ。フランスの著名ワイナリー買収のように、収益性から見れば引き合わないが(宣伝効果も含めて)投資者の「エゴ」が満足するような投資を指す。それなら、台湾の富裕客が一泊五万円以上もする高級旅館を好むのは「エゴが満足する消費」だ。日本で散財することが「気持ちいい」からだ。中国にもそういう富裕客層は大勢いるが、日本の入管政策を修正できるかどうかが誘致実現のカギだ。
 第三の例は人材の活用だ。いまの日本にとって、若い中国人の活力・能力は眩しいばかりだが、それならそういう人的資源を「輸入」すればよい。
 「製造業の生き残りのために研究開発・・・」よく聞く話だ。しかし、米国は言うに及ばず欧州だって、インドや中国の才能を在留資格と奨学金で青田刈りしていく。日本人だけの力で彼ら連合軍に伍して研究開発の優位が保持できるとは思えない。
 以上のことは、アジアを「見下げ」てきた日本にとって、どれも盲点、死角だった。そう聞くと「落魄」の苦さも感じられるだろう。しかし、泣き言を言わない、人のせいにしない。苦くても現実を見据えるところから正しい処方箋が生まれてくるはずだ。日本経済再生のためには、これまで何をしてこなかったか、見落としてきたかを考えなければならない。日中FTA締結に時間がかかるなら、まずはメリット吸収に必要な中国(アジア)観の修正から始めてはどうか。


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中国語版
(『選択』2003年6月号)