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ブログ 津上俊哉
増税論議に思うこと

お断り:up後一晩明けて読み返すと、推敲不足で出来が悪い。そこで、アゴラ転載分の方で書き換えを行いました。当ブログの方は、そのままにしますが、これから読む方は、アゴラの方をお読み下さい。m(_ _)m


増税論議に思うこと
或いは 「死んだ子の歳を数える」
ような 「マニフェスト」 論


  私は野田総理の増税について、「増税の前にすることがあるだろう」 という反対論にも共感するが、これまで 51:49 くらいで増税に賛成だった。しかし、ここに来て、賛否がひっくり返りそうである。

  「51」 で賛成に傾いた理由は三つあった。第一は、言い古されているが、「増税は避けて通れない」 だ。高齢化により貯蓄の減少は避けられない。発行される国債をあらかた国内で消化できる時代なら、国庫と家計の間で 「ポケットの右から左へ」 式に資産と債務を交換するだけだと考えることもできたが、そういう特殊な時代は近く終わり、今後は外国に頼る量が増えていく。日本財政が外国債権者の詮議を受ける時代が近いということだ。

  そこで欧州危機に想いが行く。いま国債金利の上昇で大難儀しているイタリアも、10年前までは国債の8割以上を国内消化していたと聞いたときは、「明日は我が身」 を思わせて大ショックだった。「金利を6%いただかないと貸せません」 と言われて (←イタリアがいまココ) 慌てても遅い。いまから債務のコントロールを真剣に始めないと、後日の支出カットの苦しみは、いまどころの騒ぎではなくなる。

  いまや財政赤字の主因は年金や医療であり、これを減らすのは、かつての公共事業以上に難しい。「出るを制する」 努力も必要だが、なにせ支出が収入の倍あるのだ。「入るを図る」 増税は避けて通れない。

  第二は、景気のタイミングだ。増税話が出ると、決まって 「いまはデフレなので」 云々の反対論が出るが、増税すれば大なり小なり景気に悪影響が出るのは当たり前、それを嫌がっていたら、やがて、いまの南欧のようにギロチン式財政カットを余儀なくされるだろう。そのときは、「経済への悪影響」 を云々する余地はもはやないのである。

  とすれば、残るは、何時増税するのがいちばん 「ひどくないか」 のタイミング判断だと思う。この点で、昨年の311大震災が情勢を大きく変えた。向こう数年は復興のための特異な財政出動による景気下支え効果が見込めるので、「やるなら今だ」 と思う。逆から言えば、「あと数年かけて行財政改革に切り込んで…」 をやっていると、カンフル剤が切れた頃に増税することになる。公務員や 「シロアリ」 の利権を成敗して、国民の 「ハラ落ち感」 は改善しても、増税後の経済はもっと 「ひどい」 ことになると思う。

  第三は、今回の野田増税が流れた場合の後遺症だ。与野党協議の難航を見て、既に 「引き下げ」 を予告する外国格付け会社が出てきた。「やる」 と言ったのに 「やれなかった」 場合、「最初から増税話など無かった方がまだマシだった」 式に、格付けがよけいに下がるだろう。増税話は、選挙の洗礼も受けていない野田総理が 「勝手に」 始めたのに、「途中で止めたら、もっとひどいことになるから、やるしかない」 というのは 「居直りナントカ」 みたいだが、不愉快でも事実は事実である。

  これまでのところ、日本国債の空売りで儲けを企んだヘッジファンドは 「死屍累々」 だそうだから、いまのイタリアのような日が目前に迫っているとは思わないが、よけいな格下げでその日を近づける愚は犯したくない。

  以上のような考えから、野田増税に 「51:49」 でしぶしぶ賛成、と考えてきたのだが、この一、二週間で考えが揺らいだ。

  理由は自民党だ。最近、自民党内の 「老・青」 対立が報じられるようになった。派閥の領袖クラスが 「大連立」 による増税に前向きで、執行部に圧力をかけているという。これは 「大連立内閣」 の暁には、自民党の派閥領袖クラスが入閣するという青写真があってのことだろう。

  もう一つ、先週自民党の調査会が 「国土強靱化基本法案」 なる公共事業拡大政策を打ち出し、6月にも国会提出する、のだそうだ(毎日5/23報道)。

  「旧い顔ぶれ」 というだけでアレルギー反応を起こすつもりはない。この数年、「世代交代」 の無惨な失敗を何度も見せられてきたから、「旧い顔ぶれ即不可」 と決めつける訳にもいかない。しかし、「200兆円の公共事業」 とはどういうことであるのか。ここでも 「公共事業」 というだけでアレルギー反応を起こすつもりはないし、311大震災以降、「防災・減災」 が改めて問われているのも事実だ。しかし、「公共事業を毎年20兆円ずつ10年間」 とか 「列島強靱化でGDP900兆円」 とかぶちあげられると、「拉致されてタイム・マシンにでも乗せられたか」 と、呆気にとられる思いだ。

  いま 「公共事業」 に求められていることは、厳しい財政事情と少子高齢化の進行を念頭に、既に先覚的な地方都市や過疎地帯が始めた 「コンパクト・シティ」 化や 「スローな (住民手弁当参加型) 公共事業」 など、国土の住まい方を根本から見直して計画を練り直したり、維持が必要な既存施設を洗い出して補修や強化にどれくらいかかるのかをキッチリと詰めたりすることではないかと思う。この法案のイデオローグらしい京大の藤井聡教授も、一部そういうことを言っているのかもしれないから、本当は同教授の最新刊 (「救国のレジリエンス」) でも読むべきかもしれないが、私は 「公共投資による需要創出でデフレ脱却を図る」 と聞くと、それだけで読む気が萎えてしまう。

  大連立による増税話と並行して打ち出された 「国土強靱化基本法案」 が 「増税法案賛成の条件だ」 と言われれば、「命をかけている」 野田総理としては 「まる飲み」 するほかない。しかし、国民の過半が 「いずれ増税はやむを得ない」 と考えているのは、「年金や医療制度を持続可能なものにする必要がある」 と考えているから、ではないのか。「国土強靱化基本法案」 は自民党のホームページにも出ておらず、具体的な中身が不明だが、増税による増収分が公共事業拡大に流れるのだとしたら、それは 「民意」 に適ったことなのか。

  増税に対する 「51」 の賛成が揺らいだ理由は、五里霧中の増税・連立協議の行方次第では、増収分が何に使われるのか、分かったものではないからだ。「増税」 するというのに、カネが何処に使われるか、国民は政治から何の言質も証文も得ていない、というのはまともな民主政治ではない。「コンクリートから人へ」 に始まり、「税・社会保障一体改革」 へ変容するところまではともかく、「仕上がりは 『公共事業拡大』 でした」 になったら、いくらなんでもひどすぎないか。

  いまさら民主党の 「マニフェスト違反」 をあげつらうつもりはない。「政権交代」 は2009年の参院選で 「ねじれ国会」 が発生したところで幕を下ろしたのであり、「履行不能になったマニフェスト」 に何時までこだわっても意味がない。小沢元代表らのグループが執行部の 「国民への約束違反」 を難じながら、実行可能なマニフェストへの改訂を議論しようとする気配がないのは、本当のところ国民に対して無責任な 「政局」 思考だと感じている。それと対比して言えば、違和感ありまくりの 「国土強靱化基本法案」 が一点だけ評価できるのは、「大連立」 にせよ何にせよ、自民党が政権の座に復帰したら何をしたいのか?を世に問うたことだ。「隠れ」 にせよ、これは歴とした 「マニフェスト」 である。

  「マニフェスト政治」 は 「ねじれ国会」 という民主党政権の蹉跌で泥にまみれ、国民の信を喪ってしまったが、この半月ばかりの政治を見ていると、そのことの損失如何ばかりかを痛感する。「最悪」 の想定は、「旧い顔ぶれ」 による 「旧い政策」 では、大連立後に選挙をしても、連立側が負ける可能性があることだ。仮に私が対抗勢力の立場だったら、そのアキレス腱を責め立てるために 「増税白紙撤回」 をマニフェストに掲げる。もし、それで再び 「政権交代」 や 「ねじれ×ねじれ」 になったら……そういう事態になったらどうすれば良いかは思いつかないが、なったときに似つかわしい言葉はすぐ思いつく。

  「歴史は繰り返す 一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。」

平成24年5月31日 記




 

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