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「大東亜戦争」 の時代背景と心情 (その2)

『「近代の超克」とは何か』 の読書感想文2回目です。


「大東亜戦争」 の時代背景と心情 (その2)
「東亜新秩序」、「東亜協同体」 とは何か


  前号では 「対米英開戦の報道は、ほとんどの日本人を大きな感動の渦 (「もやもやの晴れた、からりとした気持ち」) のなかに置いた」 のは事実だったらしいこと、その背景には単に 「満洲事変」 以後の対中政策を巡る日本と米欧の軋轢という時事情勢だけでなく、明治維新以後の日本近代化の過程を貫くもっと根の深い感情、すなわち米欧が 「仕切る」 世界秩序、“double standard” に対する怒りや不公平感があったこと、を述べたうえで、しかしそういう感情だけで、無謀な戦争を始めて 「もやもやの晴れた、からりとした気持ち」 になれるものだろうかと自問した。

  本書から得た第二の啓示は、日本人をそういう気持ちにさせた原因がもう一つあるということだ。それはちょうど3年前に本ブログでも一度書いた 「日中戦争」 の泥沼化 (注)に深く関わっている。

中国で抗日ナショナリズムに直面して 「東亜新秩序」 論が生まれた

  1937年7月盧溝橋で偶発的に始まった日中の軍事衝突は当時の世論、マスコミ、政府の対中軽侮・好戦気分の赴くまま、綿密な計画もなしに “escalate” していった。当時の合い言葉は 「対支一撃論」 で、「一発お見舞いすれば中国はギャフンと参る」 はずだったが、南京、徐州、武漢占領と日本軍が何発見舞っても中国は参らない、どころか国民政府が重慶に逃れ、中国国民の抗日ナショナリズムはいよいよ強固になり、戦線は終熄のしようがなくなっていく。
  本書はまず、 「事変 」 勃発後1年余を経た昭和13年 (1938年) の秋から冬にかけて、日本の対中認識に重大な修正が起きたことを教えてくれる。ちょうど日本軍が武漢を占領 (10月) した後、作戦を 「進攻」 から 「持久」 に切り替えた (12月) 時期に当たる。

昭和13年11月3日にいわゆる 「束亜新秩序」 声明、すなわち近衛内閣の事変処理をめぐる第二次声明が発表された。そこでは、「帝国の冀求するところは、東亜永遠の安定を確保すべき新秩序の建設にあり。今次征戦究極の目的もまたここに存す」 ・・・ と言明されている。その声明はさらに中国国民と国民政府に向けて、「帝国は、支那国民が能く我が真意を理解し、もって帝国の協力に応えんことを期待す。もとより国民政府といえども、従来の指導政策を一擲し、その人的構成を改替して更生の実を挙げ、新秩序の建設に来り参ずるにおいては、あえてこれを拒否するものにあらず」 と呼びかけている。

なお近衛首相はこの第二次声明に続いて第三次声明をその年の12月23日に発表している。そこでは、「日本があえて大軍を動かせる真意に徹するならば、日本の支那に求むるものが区々たる領土にあらず、また戦費の賠償にあらざることは自ら明らかである。日本は実に、支那が新秩序建設の分担者としての職能を実行するに必要なる最小限の保障を要求せんとするものである」 と、日本の軍事行動はいわゆる領土支配的な戦争目的に出るものではないといい、「日本は、支那の主権を尊重するはもとより、進んで支那の独立完成のために必要とする治外法権を撤廃し、かつ租界の返還に対して積極的なる考慮を払うに吝(やぶさ)かならざるものである」 と述べているのである。(以上本書104ページ)

  それまで聞いたこともない 「東亜新秩序」 なる概念を持ち出し、中国 (国民党政権) と中国人に対して 「その建設に協力せよ、日本の真意を理解せよ」 と言い出した。そこまで言うなら、なぜその僅か10ヶ月前、南京占領直後に 「爾後国民政府ヲ対手トセズ」 の近衛声明なぞを出したのだ!? 本書は尾崎秀実 (後にゾルゲ事件で死刑) の指摘を引いて、この豹変の背景を明らかにしている。

・・・ 日本は中国の民衆を敵として戦うつもりはなく、「誤れる政策 (=反日政策、筆者注)を固持する国民政府に打撃」 を加える目的で戦ってきた、ところが 「支那側は始めから国運を賭しての民族戦であると考へ行動し」 ている
・・・ (尾崎は) 日本人がこの中国の 「民族の動向」 に直面し、その重大性を再認識するに要したのが事変勃発から徐州戦 (昭和13年5月) に至る時間だというのである。(以上本書104ページ)

関連してもう一つ、対米英開戦直前の昭和16年10月に行われた 「大陸政策十年の検討」 という座談会の興味深い記録が引用されている。「中国の民族問題の現場に立ち会おうとした人びと」 の 「悔恨と憤懣の言葉」 である。

・・・ 支那事変といふものはやはり満洲事変の続きとなったが、事変の世界的規模への拡大とか支那の民族運動とかいったものは、恐らく誰も感じなかったことで、実際は盧溝橋事件で初めて知ったやうなもので、その当時までこれらのことが充分に理解されて居なかった
・・・ 民族運動といふものの本質は殆ど考へてなかった ・・・ 本質、更に又そこに動いて居る全民族的活動量の発展を見て居ない ・・・ 民族問題に気が付いた時には時既に遅い
・・・ 日本の政策は根本から建直さなければならん ・・・ 孫文式に民族全体のかまどの隅に至るまでも民族主義化してしまうような支那の統治を許すこと、それを許し得るやうな日本にならなければ駄目なんだ。 (以上 『満洲評論』 第509号から引用  本書57?58頁)

  その後の事態は孫子の 「彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必らず殆うし」 の格言どおりに推移した訳である。

「東亜新秩序」、「東亜協同体」 とは何か

  それにしても、中国の抗日ナショナリズムの大きさ・深さに気付いて急遽持ち出された 「東亜新秩序」 とは何か。著者は当時近衛首相のブレーンであった国際政治学者、蝋山政道が提唱した 「東亜協同体」 構想を 「東亜新秩序」 と同時、表裏一体のものとし、「共同構想者」 蝋山の言説を引用しながら以下のように説明する。

  今次の支那事変は聖戦と呼ばれるやうになつた ・・・ なぜなら、今次の事変は東洋
  の日本が始めて西欧諸国の指導や干渉から離れて独自の立場から大同世界への
  使命を自覚したことを示してゐるからである。それは一言にして云へば世界におけ
  る東洋の覚醒であり、東洋の統一といふ世界史的意義を有する現象なのである。
  (蝋山政道 『東亜協同体の理論的構造』 から引用 本書45ページ)

蝋山がいうのは、事変はすでに 「事変処理」 として対応できるものではなくなったということである。事変は世界の 「新秩序」 の建設プランのなかで対応すべき世界戦争の東亜的局面という性格なり構造を見せてきているというのである。(本書111ページ)

蝋山は 「支那事変」 処理の方策は中国の主権尊重と中国に対する機会均等・門戸開放を規定したワシントンの九ヶ国条約 (1922年) の過誤の訂正としての新原理に立った方策でなければならないといっている (本書110ページ)。

  ワシントン九ヶ国条約には本ブログでも触れたことがあるが(『中国の 「愛国主義」 について』 の末尾注参照)、蝋山の言う 「条約の過誤」 とは何か。

(蝋山によれば) ・・・問題は二つの側面に分たれ、・・・第一に、中国に対する帝国主義諸国の関係は、機会均等という均一な関係をもって規定されてよいのか。中国に対して地政学的に特殊な近接性をもつ後進帝国主義国である日本は英米と区別されてしかるべきだということである。第二に、中国の民族主義はすでに自立的民族国家を形成する段階に達している。この中国に既成の列強中心的世界秩序 (ワシントン体制) をもって対することはできないということである。しかしこの第一の側面の内部にも対立があり、さらに両箇の側面間にはより大きな対立がある。にもかかわらず東亜の 「新秩序」 とは、この両箇をもって一つとした新たな東亜地域の体制であるのだ。 (本書112ページ)

  而して、この二つの側面を一箇の新秩序として解決することは、その両箇の要求を
  争ひを通して同時的に調停することに外ならない。換言すれば民族的要望を無視
  せずして、帝国主義的段階に到達したる国家の国外的発展が許容せられる新体制
  を新秩序と言ふのである。 (蝋山政道 『世界新秩序の展望』 から引用 本書
  112ページ)

  如何にせば支那における誤れる反日抗日の民族主義的潮流を是正し得るやの
  問題こそが、この東亜協同体論の発生的基調であると言つてよい・・・支那における
  民族的統一の方途は西欧帝国主義の排除と既に大陸発展に出でた日本との互助
  提携の実現においてのみその可能性が存するのである。ここに日本の大陸的発展
  が日本自身にとつても帝国主義的脱却と民族相互の協同体建設へと飛躍しなけれ
  ばならぬ理由が横たはつてゐるのである。(蝋山政道『東亜協同体の理論的構造』
  から引用 本書52ページ)

蝋山は、この事変を 「聖戦」 とし、「聖戦」 であることの意義を、「東亜に新秩序を建設せんとする道義的目的を有してゐるのである。換言すれば、東洋の恒久的平和を可能ならしめ、その保障を齎ら(もたら)さん為である」 (「東亜協同体の理論」)と説いた ・・・ 「東亜新秩序」 とは、日本帝国による東亜地域の平和プラン、すなわち東亜の 「日本的平和 (“Pax Japonica”)」 の構想である ・・・ 「聖戦」 であるのは、それが東亜の安定的秩序と恒久的平和を実現するものであるからである ・・・ 目的としての平和は戦争を 「聖戦」 として正当化する。同時にその平和プランは、新たな秩序のうちに抗戦相手をも位置づけ、包摂する新体制の建設プランでなければならない。したがって 「東亜新秩序」 という 「日本的平和」 のプランは、「東亜協同体」 という東亜諸民族協和の新体制として理論的に敷衍化されねばならないのである。 (本書114ページ)

  以上の 「東亜新秩序」 や 「東亜協同体」 の構想に対する著者の評価は辛辣で痛切だ。

近衛の 「東亜新秩序」 の声明も、それを基礎づける蝋山の東亜協同体論も中国の民族問題に対応しての収拾策的理念の提示という性格をもっていた。 (本書51ページ)

「東亜協同体」 をめぐる議論を追っていくと、昭和の事変に対する議論の事後性に私たちは気づかざるをえない ・・・ 事変の論理的な以前にはまったく遡及しない ・・・ (陸軍24個師団100万人を動員する未曾有の戦争になってしまった「支那事変」 を) 日本人は起こってしまった事変として事後的に受け取らざるをえなかったのである。これは昭和日本のどうしようもない悲劇的な事態である。 (本書44ページ)

このように蝋山 ・・・ における 「支那事変」 の世界史的意義づけの言説を追っていくとき、昭和初期知識人の多くの言説が帝国的国策の事後の、いうなれば承認の言説になってしまっていることへの絶望感を私はもたざるをえない ・・・ だが、それにしても事変の現実と世界史的意義との間には何と大きな隔たりがあるではないか(本書48ページ)

(「(中国の) 民族的要望を無視せずして、帝国主義的段階に到達したる国家(日本) の国外的発展が許容せられる新体制を新秩序と言ふ」 との上述主張に対して) これほどはっきりと 「新秩序」 構想の内包する矛盾と、なおそれを一つの体制として相手に押しつけようとする帝国主義国の虫のよさとを見せた文章を私は知らない。 (本書112ページ)

(上述した 「日本的平和 (“Pax Japonica”)」 について、オーストリア生まれの哲学者、文明批評家イヴァン・イリイチの或る指摘に啓発されたとして) 平和とは ・・・ 輸出されたり、強制されたりするものではない ・・・ 輸出される平和とは、いわゆる「帝国の平和」である。それは裏側に戦争をもった平和である。押しつけられる平和とは戦争であることを、私ははじめて深く覚ったのである。 (本書114ページ)

彼 (蝋山) の東亜協同体論 (は) 中国の民族主義に正面して構想されたのではなく、その事実上の克服は砲弾に委ね、理念上での収拾的克服をめざして構想されたものである (本書52ページ)

  たしかに 「東亜新秩序・東亜協同体」 論に対する最大の疑問は、そこに中国と中国人の側が受け容れ可能な要素が見当たらないことである。上述の近衛第三次声明は主権尊重、治外法権撤廃、租界返還等の可能性に触れているが、その程度の譲歩で日中和解が成るならば、そもそも 「支那事変」 は起きていなかった。これでは 「中国の民族主義に正面 (正対) して構想」 されていないと批判されても文句は言えまい。
  同文同種だから、同じアジア人同士だから 「東亜の大義」 を受け容れろというのだろうか 馬鹿を言ってはいけない。事変で日本が中国にした行いが同文同種、同じアジア人同士の国に対してあるまじきものだったことは明らかだ。
  当時の情勢下、蝋山ら御用学者には御用学者なりの言われぬ苦悩があったとは思うが、総体としてこの言説はまったく身勝手な押しつけ、夜郎自大な自己正当化の議論だったと言うほかはない。
(この稿さらに続く)
平成21年1月5日 記

注:昭和12年 (1937年) に始まった日中戦争は正式な宣戦布告が行われなかったので 『支那事変』 と呼ぶ慣わしだった。しかし次回以降に述べる点に鑑みると、宣戦布告のあるなしという形式問題以上に、国民がこの戦争を 「未決の事態」 扱いして直視を避けたこと、それがこの戦争を 「日中戦争」 と呼ばないもう一つの理由だったことが窺われる。「支那」 は筆者の使いたくない言葉だが、本稿では当時を伝える本書の雰囲気を大事にするために 「支那事変」 を用いる。




 

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