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ブログ 津上俊哉
中国経済を待つ次の坂道

中国では景気減速感が強まる中で、今後の経済運営を巡る議論が活発化しています。財政出動か、その形態や如何に云々と。でも、こんなときは景気刺激のための技術論だけでなく、今後の改革開放の大局を見据える議論をした方が良いのではないでしょうか・・・


                       中国経済を待つ次の坂道
                  「私有化推進による経済構造転換」 論を読んで


  11%の高成長と株高に湧いた昨夏、中国は経済の先行きについて超強気だった。1年経って、今度は株価の暴落や景気減速の兆しに加えて、これまで経験したことのない世界経済の変調を目の当たりにして言い知れぬ不安を感じている。まるで希望と落胆の間を行き来する若者のようで、こっちもつい、「世界を見てみろ、中国は一番経済がマシな部類の国じゃないか」 と肩を叩いてやりたくなる。
  そうは言っても、投資主導の成長は限界、軒並み上昇する諸コストと人民元の上昇で外需主導の成長路線も限界、消費も物価高のせいで大きな伸びが期待できない、景気下降に対応すべく金融緩和に転じたくてもホットマネーの流入でそれもままならず、という状況を前に、企業家と言わず政府と言わず、今後の経済成長を牽引する機関車が見当たらないという閉塞感が立ち込めつつある。
  地方政府主導の過剰投資を繰り返さず、米国頼み・輸出依存からも脱却し、消費・内需主導の成長を促進するようなブレークスルーを実現する方策はないものであろうか・・・外野の立場ながら、そんなことを考えている最中に興味深い論説が目にとまった。「財経」 誌7月7日号に掲載された 「私有化推進により経済構造転換を」 と題する論文だ。筆者はエール大学の陳志武教授で、要旨は以下のとおりである。

  中国経済は投資が過剰、輸出に過度に依存、サービス産業は発育不全で、消費が弱い。今後はハードからソフトへ、重厚長大から軽薄短小へと経済構造を変えていく必要があるが、これがなかなか進まない。
  その大きな原因をなすのは、ざっと116兆元と推定される中国の国富の実に3/4が広義の政府の手にあるという事実だ (116兆元は邦貨換算1700兆円、内訳は国有土地で56兆元、国有企業の資産価値で32兆元、民間の資産合計28兆元)。
  高度経済成長により国民の衣食住の需要はある程度満たされた。今後はサービスの需要を拡大させ、国民経済に占めるサービス産業の割合ももっと高めていくべきだが、急速に増大したこの国富を国民に分配しないままでは、サービス需要の拡大も多くを望めない。
  国富増大による資産効果のあらかたを政府が独占していることは、なぜ中国が重工業のようなハードにばかり投資するかも説明してくれる。政府はそういう投資の方が好きなのである。
  更に言えば、今後伸びるべきサービス/第三次産業のうち電信、教育、医療など重要なサービス産業で政府の独占が続いていることも産業の発達を妨げているといえる。
  以上のような観点からも、中国経済の構造改革を進めていく上で、経済の私有化をもっと進めるべきである。

  分配という観点からここ数年の中国経済を見れば、最大の 「勝ち組」 が政府であることは疑いがない。「国有」 の土地資源価値が急激に増大したうえ、銀行を始めとする大国有企業が相次いで上場、膨大な上場益が政府の懐に入ったからだ。以上のようなストック面だけでなく、フローの面でも税収の驚くべき伸びで (2000年の1兆2600億元から2007年の4兆9400億元へ約4倍に増加)、GDP成長率を大幅に上回る 「増収」 を果たしている。
  これまで経済の私有化 (婉曲に言うと 「民営化」 )を進めるべきか否かの議論は、多分に国有企業の経営者 (エージェント) が所有者たる国 (「全民」)の利益よりも自らや所属部門の利益を顧みる経営をしがちだというコーポレート・ガバナンス上の弊害や国有企業より民営企業の方が経営効率が高いといった観点から論じられることが多かった。これを企業のあり方という意味でサプライ・サイドに立った議論だとすれば、政府偏重の分配構造がデマンド (需要・市場) サイドから更なる経済成長やサービス経済化を妨げているという指摘は新鮮で、かつ、頷けるものがある。

  陳教授の論文は私有化推進の具体的なハウツーまでは提言していないが、これを読んで、社会正義に適う公平な分配を促進するような改革は既にいくつか提唱され、あるいは一部で実験に移されていることに思い至った。筆者が思いついた限りでは以下の二つが挙げられる。

○ 国有株式上場益を使った年金財政の改善

  第一は、国有企業の株式上場益等を養老年金の支払い原資に充てるべきという考え方である。中国には上述の国富が生まれたが、同時に国家債務もある。とくに将来の年金支払原資の積立不足は 「隠れた国家債務」 だと言われてきた。
  周知のとおり、中国は人口抑制のために一人っ子政策を採ってきたせいで、遠からず日本と同様に急激な老齢化を迎える。2000年には9人の現役世代が1人の老人を養う勘定だったのが、2030年には4人で1人、2050年には3人で一人を養わなければならなくなると言われている。
  しかるに、この膨大な老齢人口を支えるべき養老年金制度は、最近でこそ都市の正規勤労者が広汎にカバーされるようになったと言うものの、基本年金制度が13億の人口のうち2億人、依然として15%前後しかカバーできていない。より衝撃的なのは2億人と言っても個人口座を2億作ってあるというだけで、実際に積立がされている口座数は遙かに少ないことだ (注参照)。
  以上の結果、いまは現役世代の納付する保険料がそのまま受給者への給付に回っており( 「現収現付」 という)、将来の年金支払原資の積立が全然できていないままなのだ。この問題は過去10年、何度も深刻な問題として取り上げられてきており、昨年11月にも人民銀行の易網副行長が 「株価が好調ないまこそ考えるべき」 と提唱している。
注:2005年、当時の社会保障基金理事長だった項懐誠氏(元財政部長)は、積立を行っているという意味での基本年金加入者数は1550万人に過ぎず、積立不足は1兆元に及んでいることを明らかにした。
  しかし、不足額はそんな少額では済まないはずだ。要支払年金額は将来の物価水準の想定を動かすだけで大きく変わる。世銀は1998年に 「中国の年金積立不足による隠れた債務はGDPの約46?69%に相当する」 との推計を行っている。10年も前の推計とはいえ今日に至るも事態の改善が見られないのだから、荒っぽいが同じ比率を当てはめてみよう、不足額は実に11?17兆元になる計算だ (2007年のGDP24兆66百億元を基に計算)。

  この隠れた債務を増大した国富を使って解決できないかという発想は、大きな方向として出てきて当然である。厳密に言えば国富の 「私有化」 というより、所有や管理は政府の手で続けるが国民がもっと直接受益できる使い方をしようという改革であるが、本当に実現できれば、増加した国富を最も公平に国民に還元する方法になる。また、年金制度に対する国民の不安を解消できるマグニチュードで実施できれば、老後の安心→過剰貯蓄の減少→消費の刺激というマクロ効果も期待できる。さらに、制度設計如何に拠るが、仮に国有持分を市中売却する方式を採れば、結果的に上場国有企業における国の持分比率が下がるという「民営化促進」効果も生まれるだろう。
  これを実際に実現するには国有企業を管掌する政府各部門の既得権益を突き崩す必要がある。加えて、制度の実務的な設計にも多々難問がある由で、口で言うほど簡単な話ではないようだが、共産党と中央政府の指導者層は何とかこれを実現したいだろう。
  そう言えば、元人民銀行長で金融に明るい戴相龍氏が最近天津市長から全国社会保証基金理事長に転出した。そう聞いて 「地味なところに行ったなぁ」 と感じたのだが、ひょっとすると社会保障制度にこの重要課題あるが故に、そういう人事になったのかもしれない。いずれにせよ、中国の 「和諧社会」 建設の実は如何ばかりか、を我々が外から測る上でも注視していくべき課題だと思う。

○ 農地の宅地転用で生まれる開発利益の農民への譲与

  第二は、農村の住宅地を収用して都市住宅用地に地目変更する際に生ずる開発利益を、これまでのように収用を行う地元政府とデベロッパーで山分けするのではなく、少なくとも一部を地元農民に譲与できないかという考え方である。
  本ブログを定期的に読んでくださる読者各位がそう聞けば、以前取り上げた北京大学周其仁教授の 「小産権は大きなチャンス」 を思い出してくださると思う。周教授が見聞した北京の小産権マンションは現行の農地利用制度の不備・間隙を突く形で、農宅地の地目を変えないまま都市住民向けのマンション開発を行うビジネスだった。農宅地と競売にかかる住宅用地の間にはとんでもない価格差がある。小産権マンションはこの価格差あるがゆえに正規マンションより格段に安い。そういう方法で都市の政府とデベロッパーの手から開発利益を取り戻し、購入者たる都市住民と販売者たる地元の農村(又は上級の鎮政府)が潤うというものだった。
  しかし、財産の法的根拠がいかにも脆弱、関係当局も 「違法」 とは断じないが、煮え切らない対応だと聞いて、やはり役人は敏感な問題には手を付けたがらないのだと思っていた。
  ところが、そうでもないのだ。先日、知人の誘いを受けて天津市近郊の某農村を見学に行ったのだが、現地で共産党中央、国務院が密接に関与する形で 「天津モデル」 と言われる実験( 「試点工作」 )が行われていることを知った。
  この実験は胡錦涛政権が重視する 「新農村建設」 事業の一環で、小産権のような 「灰色」 方式ではなく、政府が正面から関与して開発利益の帰属のあり方を変更しようとする試みである。一言で言えば、適法な仕組みにするために農地収用の手続は踏む、しかし、土地を落札するデベロッパーに近傍の農民住宅建て替え等を入札付帯条件として課し、開発利益が農民にも均霑されるようにするのである。対象となる農民が資金負担をせずに真新しい住宅を手に入れることができる点は、日本の都市再開発事業で地権者が手にする 「保留床」の仕組み (建て替わる再開発ビルの床に対する一定の持分) に似ている。
  天津は浦東新区に続く中央政府特認の重点開発地域となって以降、新政策の 「実験」 にえらく熱心な様子で、2005年頃からこの手法を研究し始め、国土資源部や共産党中央とも協議を重ねた上で実験に踏み切った由だ。
  この手法では市政府の懐に入る土地競売益や開発に付帯条件を課されるデベロッパーの儲けが減る。また、北京・天津のように不動産価格が高騰した沿海大都市の近傍でないと採算が取れないと思われるが、他方で新味のある事業手法のため、これを不用意に 「解禁」 すると、全国至るところで乱開発を招きかねない。このため、国務院の新農村建設担当と国土資源部は実験場所を全国で150箇所の農村に限定、それも一カ所ずつ慎重に実験を進める構えだと聞いた。中国で言う 「模着石頭過河 (河を渡るとき、慎重に河底の石の具合を探りながら行く) 」 式だ。
  しかし、この手法が普及すると、かつての日本と同じく大都市近郊の農民が金持ちになる一方で、僻地の農民は相変わらず出稼ぎに行かざるを得ない、つまり農民の間に大きな貧富の格差を生んでしまうのではないか。見学に付き合ってくれた国務院の役人にも、そんな疑問をぶつけてみた。明確な回答が返ってこなかったので、こちらから代弁して 「でも、『農民間の貧富格差拡大』 を理由にこの政策はダメだと言えば、『開発利益は今までどおり政府とデベロッパーで山分けすべし』 と言うのと同じになる。これはいわば 『農村版の先富論』 かな」 と述べたら、相手は強く頷いていた。

  WTO加盟のために一度大きく国政の舵を切って大成功した中国だが、今後直面する経済的な試練は、新たな舵切りを中国に迫るだろう。今度はいよいよ共産党と政府の既得権益の核心に踏み込む改革になり、「既得権益止めますか、それとも発展止めますか」 の選択が求められる。政治体制改革とも密接に関わることは言うまでもない。
  筆者はかねがね改革開放をここまで引っ張ってきた中国の現役世代を尊敬してきた。貧しさや政治的な抑圧を味わって育つなかで、「いつか中国を立派な国にしてみせる」 という一念で頑張って、達成してきたからだ。しかし、ここから先の改革の成否が彼らの本当の正念場になるだろう。
  この坂を越せれば中国は真の超大国となる切符を手に入れられる。越せなければ日本の轍を踏んで 「いい線まで行ったけど、上値を抜けられずに終わった国」 として世界史に記録されるだろう。さて、お手並み拝見だ。
(平成 20 年 7 月 31 日 記)




 

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