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「応急弁」 の話

2月の中国大雪害を機に、中国の「危機管理」対策を調べてみました。


                      「応急弁」 の話
                      中国危機管理考


  「応急弁」 という単語をご存じだろうか。ポンプの弁のことではない。「応急管理弁公室」 の略、意訳すれば 「危機管理対策室」 だ。ウェブ検索すると大量のヒットが返ってくる。検索をしたきっかけは、去る 1 ~ 2 月に中国中南部を見舞った観測史上空前の大雪害だったのだが、ヒットの列を見て、これは調べるに値すると思った。

  1 ~ 2 月の雪害は、日本で想像する以上に深刻なインパクトを中国にもたらした。被災した地域は貴州、湖南、湖北、江西、安徽、広西、江蘇、浙江、陕西等 16 省(市) に及び、被災者数は 1 億人、直接の経済損失は 1100 億元(約 1 兆 65 百億円)を超えた由である。
  被災地域、とくに貴州、湖南、広西などでは暴風雪により交通インフラが大打撃を受けた。主要道路が積雪凍結で封鎖されただけでなく、送電網でも送電塔の倒壊や断線が相次ぎ、これが電車中心の中南部鉄道網を麻痺させ、物流網全体が麻痺しかけた。トラックに頼る石炭輸送が影響を受けたせいで、火力発電所も停止・操業低下を余儀なくさた。以上の結果、大規模な停電が中南部を襲い、2 月初めには全国で 3700 万 kw 分の発電能力がストップしたという。日本の関西電力まるごとに匹敵する規模だ。
  ライフラインの機能麻痺により、各地の住民生活や生活物資供給が危うくなった。南方では暖房を主にエアコンに頼っている。停電の最中、さぞかし寒かったことだろう。物流網がやられたせいで生活物資の供給も大きな影響を受け、2 月の消費者物価をいっそう押し上げた(対前年比 8.7 %)。
  それだけではない、時おりしも春節直前、沿海部・南方で働いている 1 億人を超える出稼ぎ工が年に一度帰郷しようとする時期に、長距離輸送網が軒並みストップしてしまったのだ。広東駅周辺で数十万人の帰省者たちが復旧する見込みもない列車を待って泊まり込んだという話をニュースで聞いた方もおられよう。

  深刻な事態が起きていた割に、国外でさほど関心を呼ばなかったのは、重大な人身被害や社会騒乱を起こすことなく難局を乗り切ったせいである。仮に広東駅で帰省できずに憤激した大群衆が騒乱でも起こしていれば、中国社会の不安定さを象徴する事件として海外の報道ぶりはまったく変わっていただろう。
  その火種は十分あった。現地ではまさに騒乱を恐れて 「危機管理」 を行ったらしい。駅周辺の旅館・ホテルを全部借り上げて無償提供する、飲食料や果物を買い上げて配給する、などなど。 至れり尽くせりとはいかないが、いまの中国標準から見れば、帰省者たちが忍耐を続けられる最低線をクリアしたのだろう。中国の友人たちも 「政府は今回よくやったと思う」 と話していた。

  このてんやわんやの舞台になったのが 「応急弁」 である。

  中国で 「危機管理」 問題に焦点が当てられたきっかけは、2003 年春の SARS 大流行である。それ以降も、化学工場爆発事故に起因する松花江の汚染事故や大規模な炭鉱災害など、為政者に危機管理の重要さを痛感させる事件が次々起きた。この結果、過去数年政府や企業の中で危機管理体制の強化が潮流になっていたのだ。
  ネット情報を基に、最近採られた中国の危機管理対策を整理・鳥瞰してみよう。危機は災害に起因するものとテロリズムに起因するものに分かれ、後者については中央に 「国家反恐怖主義(テロ)弁公室 、公安部?各地の武装警察の系統に 「反恐弁 (CTO)」 と 「反テロ専門部隊」 が設けられている。ことの性質上、こちらについてはほとんど公開情報がないので以下は省略する。

  各種災害については、SARS の反省から 2003 年に体制整備が始まり、2005 年初めに国務院が 「国家突発公共事件総合危機管理マニュアル」 を制定、同年末には 「国務院危機管理弁公室」 を設置、さらに 2006 年 7 月には、第 11 次五ヶ年計画に歩調を合わせる形で国務院が 「危機管理工作の全面強化に関する意見」 を出し、昨年 7 月には全人大常務委が自然災害、産業事故等の事故災害及び疫病蔓延等の公共衛生事件を対象とする 「突発事件応対法」 を成立させた。

  これらの動きから中国が考えている 「あるべき」 危機管理の姿が浮かび上がってくる。
○ 災害の未然防止・早期対応
言うまでもない危機管理の定石であり、早期に発見、報告、警報を出すための全国統一の危機管理情報・指揮命令系統などが定められた。また、SARS で一部の地方政府による情報の隠匿が深刻な危機を招いた苦い経験から、正確でタイムリーな情報の公開・提供、デマ流布の防止・処罰などが強調されている。今回の雪害では、広東省が既に一般大衆まで普及した携帯メールを使って、雪害・交通情報を大量に提供したと報じられている。
○ 組織・体制作り
地域、業種、各事業所をタテヨコで覆い尽くす機構組織とマニュアルを作り、危機の等級別に各級政府の分担体制を構築、タテ部門間の協調を強化しつつ、属地主義中心の危機管理体制を構築する。例えば 「国家自然災害救助危機管理マニュアル」 では、自然災害を4等級に分類し、死亡者 200 名超と定義される一級災害では国務院自ら危機管理を発令し、担当副総理が現場に赴く等が定められたほか、どこであろうと救助隊と救援物資が 24 時間以内に被災現場に到着し、中央の対策資金も 72 時間以内に被災地区に交付すると定められている。
○ 国民の権利の保護と義務
突発事件応対法により、国民は危機情報の通報、緊急時に当局の指揮に従い、協力し、必要であれば先行処置を執るなどの義務を負う半面、政府の危機対応に当たっては、起こりうる社会の危害の性質・程度・範囲に従って、選択の余地の中で公民の権利保護に最も有利な方法を選択すべきこと (比例原則)、個人や企業の財産の徴用が必要な場合は徴用できるとするとともに、事態終熄後は直ちにこれを返還、損害は補償すべきこと等の原則が定められた。
○ 政府による機構組織の整備、予算の充実
専門家は常備の基金 (予算) を設置するよう求めているが、今回の雪害を例に取ると、財政部が 63 億円 (約 950 億円) を臨時予算として拠出、このうち被災農民や滞留旅客を救援するために 3.3 亿元 (約 50 億円) を当てた由である。上述の広東駅での物資配給などはこの資金が充てられたのだろうか。


  各級政府・企業がこれまでに定めたマニュアルは膨大な数に上り、一説には 130 万を超えるという。中央政府が定めたマニュアルだけでも、通信、学校、動物疫病、食品安全、森林火災、海上遭難、飛行機・鉄道・地下鉄事故、洪水旱魃、地震・地質災害など枚挙に暇がない。その中でネット上とくに情報が目立つ領域といえば、自然災害、原子力災害、疫病災害の 3 つであり、体制整備が進められ、予行演習等もよく行われているようである。
  また、今回の空前の大雪害は、デスクワークに偏っていた危機管理体制整備にとって、重大な試練となった。雪害によるライフライン損害が深刻化した 1 月末、国務院は発電用炭/石油輸送及び応急修理・防災指揮中心(主任:馬凱発展改革委主任)を設置、党中央宣伝部、発展改革委、公安部、民生部、衛生部、交通担当省庁、気象局、解放軍総参謀本部、武装警察、エネルギー大企業など 23 機関が参加した。
  この指揮中心はその後約 3 週間、とくに被害現状の把握・情報提供、交通インフラの復旧、電力確保のための緊急節電・石炭輸送、救難物資・中央財政からの緊急対策資金の交付、食料・生活物資の緊急輸送・販売確保、緊急医療チームの派遣などにかなりの力を発揮した。できて間もない危機管理体制が有効に働いたというより、中国伝統の仕組み、共産党中央及び国務院が事態を重視して指揮命令・部門間の協調確保に動いたことが、今回の降雪被害を最小限に食い止める上で大きな働きがあったとみるべきだろう。

  さて、雪害も過ぎたいま、ネット上では危機乗り切りを自画自賛する文章が満載、と思いきや、「反省の弁」 が圧倒的に多い。曰く 「不十分な気象予報のせいで初動対応が遅れた、各種インフラの災害抗堪力が弱かった、部門の縦割り主義の弊害が顕著だった、できたばかりの危機管理組織とくに当直体制が弱かった、危機管理に投じられる各種資源・予算の不足が露呈した、米国など先進事例を学んで改善しなければならない点が多々ある・・・云々」
  それを見て思うところがあった。これがいまの中国の強さなのだと。自分たちはまだまだ遅れているということを自覚して、進んで海外の先進事例を学ぼうとする。いままでのやり方を変えることを厭わない、躊躇わない。この謙虚な学習・改善の姿勢は、改革開放の初期にはもっと明白だった、何から何まで遅れていたのだから。しかし、その後長い道程を歩んで中国の台頭・キャッチアップが誰の目にも明らかになった今日も、分野によってはなお健在なのだと。

  危機管理は中国がいまなお 「学べる」 強さを失わない事例の一端だ。そういう中国の強さを裏返せば、即ちいまの日本の弱さになる。過去の成功体験に安住し、「ソトから口を出される」 ことを嫌がり、その実、いったん問題が起きると、為す術を知らない・・・政府、企業を問わず、そんな組織、領域が多すぎる。
  災害対策を例にとれば、日本はいま中国が論じている水準をとうの昔に達成していると思うが、 「だから日本は災害を十分に管理できる」 という保証はないのではないか。例えば、かねて恐れられている H5N1 型鳥インフルエンザの爆発的流行が起きたとき、日本と中国のどちらがより有効に対策を採るか、どっちかに賭けよと言われたら、私は現状では遺憾ながら中国に賭けたい気分だ。

  危機管理に限らず、日本はもっと自分のいまの立ち位置を再点検し、現状でよいのかどうかを疑い、もっと改善できないのか、周囲に学ぶべき手本はないのかを考えるべきだ。その気持ちがなければ進歩が止まる。今日の東アジアで、それはすなわち 「落伍」 を意味する。
平成 20年 4月 2日




 

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