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ブログ 津上俊哉
「単一民族神話の起源」 を読んで

またまた、たいへん長いブランクを空けてしまったことをお詫びします。今回は最近読んで大きな啓発を受けた本の感想文です。


                「単一民族神話の起源」 を読んで

  「・・・戦前の日本では、大和民族は雑種民族であって、複合民族だと誰でも言っていたんです。あの日本主義を唱道していた真最中にもそういう風に考えていたんです。ところが、戦後になって奇妙きてれつにも、進歩的な文化人をはじめとして、日本は単一民族だと言いはじめたんです・・・」 (政治学者神島二郎が昭和 57 年に行った講演の中から)

  最近 「単一民族神話の起源」 (新曜社刊)という本を読んだ。著者は慶応大学の小熊英二助教授、サントリー学芸賞を受賞した本書の 7 年後、平成 14 年に戦後知識人と呼ばれる人々の言説を取り上げながら、その時代背景、国民の心情を分析した書 「民主と愛国」 (注1) を刊行して大仏次郎論壇賞、毎日出版文化賞などを受賞した人だ。我々が今日自明の常識と信じていることが、いかに不確かで移ろいやすいものか、時間を遡って当時のテキストを駆使しながら論証してみせるのが小熊教授の 「作風」 だ。
  本書は戦前、戦後のときどき、日本を取り巻く国際環境や国家目標の変化によって、日本の民族アイデンティティが二転三転してきたことを論証している。その内容を評者なりに咀嚼すると以下のようになる。

  我々日本人というアイデンティティが体系的、自覚的に芽生えたのは本居宣長らによる国学運動からであり、そこから 「日本は万世一系の皇室と臣民があたかも家族のように情愛で結ばれた比類無き家族国家である」 という国体思想が生まれる。「我々」 を意識するのは、我々と異なる 「他者」 を意識することと表裏一体だが、江戸期までの日本人が意識した他者は中国だった。天命を授かった王朝 (皇帝) が人民を支配し、天命を失えば倒されるという 「易姓革命」 思想や儒教に根ざした封建思想は 「さかしら」 な 「からごころ」 であり、そういう国柄の中国と 「君臣一体の家族国家」 である日本とを明確に対置する考え方だったと言える。
  その中国に代わって、日本人にイヤというほど他者を意識させたのは、言うまでもなく幕末以来の欧米列強だ。日本が未だ弱小でアジア植民地化の趨勢に怯えていた明治初期には、日本及び日本人は 「・・・知識、財力、体格その他百般において欧米人に劣る」 と意識していた。優等人種との生存競争を許せば、圧倒されて民族の衰亡を招き、国の独立を危うくしかねない、よって民族の団結を守るべきであり、国を列強に開放する愚を犯してはならないという論調があった由である (注2)。
  ところが、明治中期以降日清戦争に勝利し、民族の自信が高まっていくに伴って様相が一変していく。大日本帝国が朝鮮・台湾を獲得し、その地の原住者を帝国臣民に含むようになって以降、日本人を 「純血」 の日本民族のみに限定するといった考えは、帝国の拡張発展の支障となるので捨てるべきであるとの論調、後に言う 「混合民族論」 が台頭する。
台湾、朝鮮併合後の大日本帝国は事実として多民族国家であった。戦前の教科書には日本国民の 「民族別」 構成比も載っていた。しかし、その統治の正当性を如何に説明するか・・・。異民族は権力で抑えつけるべしとする意見もあった由だが、当時の日本にとって、海外領土の統治と 「家族国家」 の国体論の折り合いをどのようにつけるかは難問だったようである。
  そこで過去の歴史が参照された。思い起こせば、「日本は古くから諸民族 (蝦夷、隼人、琉球人など) や渡来人を一視同仁で混合同化してきたのであるから、異民族を統治・同化する能力にも 長じている、異民族の出身といえども ( 「養子」 のように) いったん君臣一体の 「イエ」 に入れば、家族となるのである、また、日本民族は生物学的に見れば、南北アジア諸民族の混合であり、彼らは日本民族と血縁関係にある。したがって、彼らの同化は容易なはずだし、日本のアジア各地への進出は故郷への帰還でもある」 という主張が戦前の主流となり、日本語教育、創氏改姓、結婚奨励、兵役導入など一連の同化政策が導入されていく (注3)。

  以上のような混合民族論に対して、いわゆる単一民族神話は敗戦による海外領土の喪失で非日系国民が一気に少数化した戦後に一般化した (論者として津田左右吉、和辻哲郎ら)。その論調はおおむね以下のように整理できる。すなわち、日本は太古から単一の日本民族が住み、異民族抗争などのない農業民の平和的な国家であった。渡来人との混血といった事実があったにせよ、基本的には海により隔絶された列島独特の風土が、単一と見てよい民族の均質性を育てた。辺境の島国に住み異民族との接触が少ない故に外交能力や戦闘能力には乏しいが、同時にその故に歴史的にも現在も平和なのである。天皇はこの平和的民族の文化共同体の統合の象徴である・・
  この考え方は占領軍から与えられた日本国憲法の平和路線に沿っており、敗戦後の国際関係への自信喪失、戦争に疲れて 「紛争に巻き込まれるのはもうご免だ」 という一国平和主義の心情とも合致していた。それ故に戦後日本で左翼を含めて急速に受け入れられ、これが今日 「日本人=単一民族」 という、今日の日本人が当たり前のように理解しているアイデンティティの基になったのである。
  「・・・ごく簡単にいえば、弱いときには単一民族論で身を守り、強大になると混合民族論で外部のものをとりこむという動き」 があったというのが著者の総括である。

  以上のように整理すると、なにやら図式的で、結論を強引に導いたような印象を受けるかもしれない。しかし、著者は以上の提示を論証するために、本書の中にときどきの論者の言説 (テキスト) を丹念にちりばめて、説得力ある論証を展開している。
  その中には、今日聞くと 「エッ!?」 と驚くようなエピソードも満載されている。例えば、皇室の起源や記紀神話を巡る戦前の論調である。「神宮皇后の母方が朝鮮半島由来であり、とくに桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫である」 ということは戦前の日本では、当たり前のように言われていたことだったという (多くの学者・論者の発言・著作が引用されているが、今日誰でも知る名前として徳富蘇峰、北一輝など)。
  もっと衝撃的なのは、「天皇家は朝鮮半島から渡来した外来の征服者である」 と主張する者も少なくなかったことである (その主張の後ろには 「太古において、天皇家は朝鮮半島から渡来した。天皇はその地の主であったのだから、(朝鮮半島を) ふたたび天皇家の領土に組みいれることは当然」 という続きがあった)。
  確かに、古事記、日本書紀などには、天孫降臨、神武東征、ヤマトタケルの物語など「征服国家」 的な記述が多々あり、外来征服者説と辻褄が合いやすい。混合民族論普及に一役買った文部省の御用学者にもそういう論者がいたという。ただ、朝鮮併合を正当化するためならば、併合が既成事実化した後は唱える必要がなくなる。この 「皇室外来征服者」 説はさすがに機微すぎて、社会全体が狂信的な国体論に覆われていく昭和10年代以降、タブー化していったという。
  他方で同じ時期、「単一民族論」 のイデオローグであり、徹底した中国嫌いだった歴史学者津田左右吉は 「記紀は作り話だ」 と唱えて不敬罪に問われた。津田がそう唱えたのは混合民族論を打破するためだった。それだけでなく、戦前から、天皇を 「多民族に君臨する強大な帝王」 にしようとした当時の風潮に抵抗し、昭和18年に出版した書の中でも 「 (儒教的な) 主従君臣の関係を日本国民の統合の象徴たる天皇に強いて結びつけ、国民的統一の自覚である尊皇思想を封建的忠君思想にすり替えることこそが (戦前の) 忠君論にほかならない」 と唱えた。本稿の趣旨からは外れるが、戦前の少数派民族アイデンティティ論が新憲法の採った象徴天皇制の源流になっている点は興味深い。

  本書は、混合民族論が主流だった戦前にあっても、これに反対する動きがあったことも紹介している。その中で印象に残るのは、政府部内の対立についてのエピソードだ。混合民族論の急先鋒に立ったのは朝鮮総督府であり、これに対抗したのがときの厚生省の医官を中心とする 「優生学派」 である。朝鮮総督府は朝鮮人に対する同化政策を進めるために 「日鮮同祖論」 をほとんど 組織のテーゼにした。優生学は 「優れた民族の血統を守るべきであり、日鮮間の結婚奨励策などもってのほか」 と唱えた。ナチスドイツがユダヤ人絶滅という身の毛もよだつ結末をもたらしたことから、「優勢学」 には暗いイメージがつきまとっているが、戦前の日本の優生学は幸いなことに当時国策の必要から唱えられた混合民族論に反対する少数派の抵抗運動の域をあまり出なかったので、民族が示したある種の生理アレルギーだったとも理解できるが、調べてみると、20 世紀前半の優生学にも、今日忘れられた数々の歴史があるようだ(注4)。

  本書で得た発見と啓発について、書きたいことはまだあるのだが、この程度にして、読後の感想を二つ述べたい。まず、自分たちの民族アイデンティティがこれほど移ろいやすいものだとは思いも寄らなかった。筆者は言う、「本書で見てきたのは、国際関係における他者との関係が揺れ動くたびに、自画像たる日本民族論がゆれ動くありさまだった。多くの論者は、日本民族の歴史と言いつつ、じつは自分の世界観や潜在意識の投影を語っていたにすぎない。」
  本書は平成 7 年 ( 1995年) に刊行された。バブル崩壊後ではあるが、刊行の 2 年前には  小沢一郎氏が 「普通の国」 論 (「日本改造計画」) を唱えている。そういう時代背景と日本の民族アイデンティティ転変の経験則を基に、筆者は今後 「・・・この経済大国が国際的プレゼンスを上昇させてゆくにあたり、おそらく純血意識は後退し、混合民族論が台頭する可能性」 に言及している。その後の展開は、おそらく当時の筆者の予測を二重に裏切った。第一は言うまでもない 「失われた十年」、「第二の敗戦」 による日本人の自信喪失であり、第二は当時これほどまでとは思いも寄らなかった隣国中国の急速な台頭だ。経験則に従えば、いまは単一民族論の時期ということになる。民族論としてはあまり唱えられていないが、過去数年の右派ナショナリズムの台頭には共通するものを感じる。昨今の反中右派の論調は 「中国に併呑される、属国にされる危機感」 が特徴だ。
  しかし、単一論と混合論の今後の優勢・劣勢を予想することが本書の目的ではない。筆者の結論は 「神話からの脱却」 の必要性だ。他者との遭遇によって認識秩序がゆらいだときに民族アイデンティティに関する神話が生まれやすい。その神話の本質は 「・・・他者とむかい合って、対応をはかる煩わしさと怖れから逃避し、現在にあてはめたい自分の手持ちの類型を歴史として投影すること」 だと言い、本書の末尾を 「異なる者と共存するのに、神話は必要ない。必要なものは、少しばかりの強さと、叡智である」 という一文で結んでいる。時代は本書刊行の頃から大きく転換したが、この結論にはいま以てまったく同感である。

  第二、明治から昭和にかけて日本の民族アイデンティティは弱小な単一民族観から帝国発展の必要と自信に基づく混合民族観へ、そして敗戦により再び平和を愛好する単一民族観へと二転した訳だが、後者の転換には、ほんの少し前まで自分たちは何と言い、何と理解していたかをきれいさっぱり忘れ去るというオマケまで付いていた。
  日韓ワールドカップを翌年に控えた平成 13 年暮れ、天皇陛下が 「・・・私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています・・・」 と述べられたことがある。韓国で大きな反響を呼び、その分だけ日本では (不敬な言い方だが) 当惑と沈黙を以て迎えられたお言葉だった。評者も当時は 「大胆なことをおっしゃられた」 と驚いた記憶があるが、本書を読んで改めて思い起こすと、なにも陛下が急に何事か思い立たれて、とか、心変わりされてそうおっしゃった訳ではない。国民大多数が、戦前日本が何と言っていたかを忘れたせいでご発言に驚いただけ、ではないのかという気もしてくる。
  過去に採った考え方を改めるということはあって良いと思うが、都合の悪いこと、イヤな思い出は忘れる、というのでは、ヒトは向上できない。ましてこれは朝鮮、台湾など、相手のあったことだ、相手は過去のことを忘れていないどころか、今やそれを覚えてもいない我々を見て、怒りを通り越してあっけにとられているかも知れない。戦前・戦中がどうだったのかということについて、我々日本人は再度検証する努力をした方がよいと改めて痛感した。
(平成19年7月8日 記)


注1:「民主と愛国」 は丸山真男、大塚久雄をはじめ 「戦後知識人」 と呼び慣わされた人々の言説をたどることを通じて、戦後のナショナリズムや公共性を巡る社会の認識の変遷を追った著作である。私は研究所時代にこれを読んで強い感銘を受け、学校時代以来久々に 「読書感想文」 を書いた覚えがある。
注2:主たる争点は、当時欧米から求められ、日本を二分する争点になっていた「内地雑居」問題、すなわち安政の不平等条約を改正する代わり、それまで居留地内にしか住めなかった外国人にも土地取得や混住を認めるかどうかという問題だった。
注3:しかし、「家族」といっても、置屋のおかあさんと芸者、親方と徒弟のように「支配と服従」が織り込まれた「擬制家族」だったし、同化の対象は日本人と見分けの付けにくい朝鮮人、中国人までであり、東南アジアやインドは「注意深く避けられた」。
注4:「優生学」 の元締めは当時のナチスドイツだと理解していたが、本稿を書くに当たって調べたら、この思潮は 19 世紀末の英国人類学者ゴルトン卿を創始者として 20 世紀前半に世界中を巻き込んで隆盛し、米国でも非常に盛んだったことを知った。戦前の日本ではあまり盛んでなかったが、それは戦争遂行のための 「産めよ増やせよ」 政策との相性が悪かったためで、敗戦後、貧窮の中で生じたベビーブームのせいで産児制限の必要が叫ばれるようになって以降、悪名高い優生保護法が成立し、ハンセン病患者や精神障害者に対する強制断種措置が導入された。ホロコーストへの反省から世界中で 「優生学」 に対する批判が高まっていた時期にもかかわらず、である。




 

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