津上俊哉 現代中国研究家・コンサルタント

これからの中国経済の行方と日本のあり方
2008/07/03
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1.急変貌する中国 −テイクオフ期の始まり

(1)「世界第二位の経済大国」を射程に入れた中国

2007年、中国の名目GDPは世界第4位(3兆4000億ドル)、輸出入総額は2位(2兆1700億ドル)、外貨準備高は1位(1兆5000億ドル)になった。2008年は改革開放30周年に当たるが、過去5年間の経済成長はこの30年間の中でもとりわけ目覚ましかった。今世紀初めの2001年に中国のGDPは日本の1/3でしかなかったが、2007年には3/4に達している。今後も中国が年平均9%前後の成長を持続し、人民元レートが上昇していけば、中国は早晩GDPで日本を抜き、世界第二位の経済大国に躍り出ることになる。そのときは従来日本で漠然と想像されていた2020年頃ではなく、数年後に迫りつつある。

(2)成長モデルの転換

急速な経済成長は中国の経済社会に大きな変化をもたらしつつある。それを象徴するのは農村余剰労働力の完全雇用が射程に入ってきたことである。中国は永年13億人に及ぶ過剰人口とそれによる雇用圧力を頭痛の種としてきたが、2006年から2007年にかけて研究者が行った農村労働力の実態調査は、従来誰も疑わなかった「農村部における大量の余剰労働力」が実はもうほとんど残っていないという結果を示した1。研究者はこれに基づいて、労働市場は2004 年〜2009 年に需給均衡状態に達した(または達する)可能性ありとしている。

最近の労働需給の引き締まり傾向はこの見通しを裏付ける。これまで「低廉で良質な労働力」を売り物にして外資誘致を続けてきた中国だが、この2~3年は様子が一変した。低賃金で労働条件も悪い広東省で求人難が起きたのを皮切りに、最近は全国各地で賃金が上昇している。

このことは、今後、中国が一方で所得分配の均等化や国内市場拡大により更なる経済成長を達成できる可能性を示唆するが、他方で、コスト増を気にせずに労働投入を増加、これに比例して産出を拡大できるような途上国型の成長モデルに依拠できた時代2が終わりを告げ、生産性を向上させて増大するコストを吸収するような、より高い次元の成長モデルが求められる時代に移行することを意味する。

それだけではない。日本も昭和30年代半ばに転換点を迎えた後、賃金上昇、所得倍増による高度成長を実現したが、同時に「一億総中流」と言われるような国民意識や世相の変化が起きた。その後、韓国や台湾もたどった「テイクオフ」と呼ばれる社会や政治の変化である。共産党による統治という独特の政治形態をとる中国でも、経済的な変化にとどまらず、国民や社会の意識が大きく変化する兆しが生まれている。

共産党や政府は10年前には考えられなかったほど世論やメディアの動向を気にするようになった。国民の側も機微(「敏感」)な政治問題を除けば、政府を批判し異議を申し立てることを従前ほど恐れなくなった。40歳以上の世代と20歳前後の若者の価値観やライフスタイルの違いは想像以上に大きい。以前ならあまり気にかけられることの無かった農民や弱者の人権問題も「社会問題」として注視されるようになっている。目覚ましい経済成長は同時に、中国の「国のかたち」も変えつつある。

(3)「改革開放」がもたらした明暗

中国経済はこの5年間で目覚ましい成長を遂げたが、他方で貧富の格差、地域の格差、環境破壊、社会的不公平と国民の不満など、深刻な社会問題も生まれた。成長の副作用とも言うべき問題を前にして、国内には「これまでの改革開放政策は誤りだった」と批判する新しい勢力も生まれた3

胡錦涛国家主席・温家宝総理による現政権は「改革開放を揺るぎなく堅持する」方針を打ち出す一方、「五つのバランス(「五個統筹」:都市と農村の発展のバランス、地域の発展のバランス、経済と社会の発展のバランス、人と自然の発展のバランス、国内発展と対外開放のバランス)、さらには「和諧社会(調和の取れた社会)」という理念を打ち出して改革開放のもたらした歪みを是正する方針を示している4

たしかに、数々の歪みを産んだ従来の粗放型・単線式の成長路線では、さらなる成長の絵を描くこと自体が難しくなっている。後述するように、歪みの解消は対症療法というだけでなく、新しい成長モデルの模索と表裏一体なのである。

(4)人民元問題 −拡張的な貨幣政策がもたらしたもの

過去数年の中国経済の成長を振り返るとき、目覚ましい経済成長にも関わらず人民元レートを割安に据え置いてきたことが大きく影響したと考えられる。よく知られるように、海外には「中国は製品の輸出競争力を高めたり、外国投資企業の投資・操業コストを低く維持したりするために意図的に元安を維持する政策を採った」との批判がある。しかし、過去の為替レート政策が中国経済に与えた影響としてより重要なのは、人民元の上昇を防ぐために大量のドル買い市場介入(その裏側での現金放出)や低金利を続けたことである。それは、中国政府が意図したか否かに関わらず、非常に拡張的な貨幣政策を採り続けたに等しい結果をもたらしている。

2003年以降の中国経済は空前の好景気に沸く一方、低金利に刺激された過剰投資や資産バブルに悩まされ、最近は物価上昇速度も高まっている。この明暗はともに拡張的な貨幣政策による過剰流動性の発生という共通の原因によって引き起こされたものであり、この問題の解決が今後の中国経済にとって焦眉の急になっている5

過剰流動性の発生を食い止めようと銀行貸出の引き締め等に努力してきたのに、効果がないどころか、2007年後半からは物価上昇という新たな問題にも直面した結果、中国政府はようやく問題の根源である人民元レートの調整に関する過去の方針を修正し、対ドルレート調整を加速しつつあるが、これにより輸出産業は大きな影響を受け始めており、これからの中国経済にとって新たな挑戦になっている。

2.これからの中国経済の課題

(1)和諧社会への道 −外部不経済による「コスト安」をやめる

中国はこれまで「生産コストが安い」ことを評価されて「世界の工場」の称号を与えられてきた。しかし、改革開放を主導してきた政府や学界では、最近「歪み問題の多くは、実際には社会的なコストが発生しているのに、社会制度の欠陥や政策バイアスのせいでこれをコストに織り込む、つまり内部化することができずに外部不経済として撒き散らした結果である、すなわち『世界の工場』のコストの安さは多分に外部コストの内部化を怠った結果である」という考え方が主流になってきた6

胡錦涛政権が掲げる「和諧社会(調和の取れた和やかな社会作り)」路線の裏側にも上記のような認識がある。このことは近年採られつつある政策が以下に述べるような制度欠陥や政策バイアスの是正に力点を置いていることからも見て取れる。

a)

(地方)政府指導者の「発展観」の修正政府が改革の歪みを放置してきたのは、地方指導者の業績考課に当たってGDPや税収の伸びばかりを重視してきたせいであり、今後の業績考課基準には成長だけでなく社会・民生の安定や環境の保全面での業績などの要素をもっと加えるべきである。→環境保全の業績を指導者の人事考課基準に明文化する制度改正が行われた。

b)

適正な就業や産業の地域間移動を阻んできた歪みの是正

農民を都市住民と差別する二元的な戸籍や社会保障制度が出稼ぎ工の搾取など真の労働コストを反映しない不健全な就業形態を産んだ。また、豊かな沿海部が財力にものを言わせて外資を誘致(土地資源の安売り・無駄使い)する結果、いつまで経っても内陸に産業が移動せずに不当な地域格差を産んできた。正常な価格メカニズムを歪めるこのような悪慣行を是正すべきである。

→農民の戸籍・移動制限緩和、出稼ぎ工の権利保護、農村を包括する社会保障制度作りが始まったほか、政府による土地払い下げ価格の大幅引き上げ、土地使用効率強化のための規制強化などが進められている。

c)

産業構造の改善

過去あまりにも工業、とくに資源多消費型の重工業に偏重し、3次産業(とくに教育、医療など)の発展を軽視してきた。また、輸出は輸入より尊く、資本は入るを図り、出るを制すべき、外資は手放しで歓迎すべきもの、といった偏った通念が経済運営に大きな歪みを産んできた。これらの政策バイアスを修正すべきである。

→エネルギー消費量の地域別capの導入、輸出振興策の削減、外資優遇税制の廃止、対外投資の奨励。

d)

「持続可能な発展」の道

過去の資源浪費型、環境破壊型の経済運営は既に持続不可能な域に達しており、今後持続可能な発展を確保するためには、環境コストを適正に反映させて、公害を撲滅し、省資源・エネルギー型の経済構造を追求することが待ったなしの課題である。

→この問題については後で詳しく述べる。

(2)和諧社会への道 − 福祉国家に向けた舵切り

和諧社会実現のためには社会的セーフネットの整備、社会保障・福祉の充実も欠かせない。財源無しには実現し得ない課題であるが、政府の徴税収入は経済の成長と徴税の普及により近時大幅に増加している7。そして、増大した財力を振り向ける先として政府が最も重視しているのが社会保障であり、中央財政から主に貧しい地方へ下記のような使途の財政移転が急増している。中国の「国のかたち」も経済成長に伴って、19世紀型の「猛々しい資本主義」から、わずかにだが 「福祉国家」の方向 へと、徐々に変わりつつある8

財源の乏しい貧しい地方に老齢年金、失業・生活保護手当の原資を交付
農村減税(地元郷鎮政府への減収補填)、農村における公共事業の拡大
西部貧困地区での義務教育(教科書の無償交付)拡充
農村の医療・社会保障体制の整備
都市へ出稼ぎに出る農民工への福利(最低賃金、労災保険加入)

しかし、一方で社会矛盾も間断なく増大しており、以上のような施策を以てしても「事態は必ず改善に向かう」とは言い切れない。社会保障充実は時間との競争である。

(3)生産性の向上 −ポスト「世界の工場=中国」時代の成長

労働力余剰が解消しつつある今、単純な労働投入の増加によって産出拡大を図る従来型の成長モデルでは増大する労働コストによって成長が行き詰まってしまう。今後の中国の成長は労働生産性の向上を伴うものでなければならない。最近、労働者の権利を保護・拡充する新労働法の施行が内資・外資を問わず中国の企業に大きな波紋と不満を引き起こしている。法改正に伴って賃金が上昇すれば生産性は短期的に低下するが、一方で技能習熟を正当に評価し、働く権利を保護するような労働法制なしに生産性の向上を期待することも難しい。労働法制強化を消化・吸収していくことも今後の中国の成長課題の一つだといえよう。

また、中国がこれまで「生産コストが何から何まで安い」ことを評価されたのは、労働に限らず経済社会の万般にわたって外部コストの内部化が図られてこなかったことを暗示する。これらの外部コストを内部化・吸収してなお競争力を保つために、生産性を向上すべきなのは労働面に限られず、土地使用、資本、環境利用の効率など生産要素の万般にわたると言うべきであろう。

(4)改革開放の次なる課題−政府機能の転換・縮小

急速に発展した中国経済ではあるが、常に違和感を覚えるのは、政府の経済実権が強大すぎることである。社会保障や法治体制などの公共サービスは依然として弱いままなのに、ミクロの経済活動における中国中央・地方政府の実権は他を圧して強大である。

例えば、中国政府はどの国の政府も共通に持つマクロ的な政策手段の他に、経済実権を支える手段として、?許認可権限(民間資金による民間投資ですら許認可が必要)、?銀行が実質国有(特に全預貸の6割を占める4大銀行)、?国有大企業による基幹産業の独占、?莫大な予算(中央と省級政府に集中)、?土地の配分権(用地供給権は政府の独占、土地を入手する側も優良地の多くは政府系開発企業が独占)などを持っている。

市場経済の下で本来ジャッジであるべき政府がプレイヤーも兼ねることは、?強大な権力が集中する結果、役人の腐敗・情実問題が深刻、?少数の権力者(=政府)による選択の誤り(無謀かつ不要な投資など)が大きな損失を産みやすい、?「結果の公平」といった政治の要請に左右される政府が、市場に代わって資源配分を掌握する結果、経済効率が落ちやすいといった問題を生む。

加えて、これらの強大な経済実権が中立的な政策の手段としてのみならず、個々の企業のミクロな経済活動に対する指導・干渉の手段として頻用されている。ミクロの企業行動に政府が恣意的に介入することは、企業の取引コストを著しく高め、ビジネスの予測可能性を大幅に低下させて市場経済の適正な運行を大きく阻害すると言われ、改革派エコノミストなどは永年にわたってその是正を訴えてきた。

しかし、最近の目覚ましい経済成長が税収増大、土地価格上昇、上場国有企業の時価総額増大などを通じて、「官」の財力と経済実権をいっそう強める方向に働いた結果、問題は改善するどころか深刻化しているのではないか。経済政策の決定に当たっても、部門と部門で相反する利益のぶつかり合いが顕著であり、政府と共産党は「既得権益集団の共棲体」の様相を強めているようにも見える。

このような観点から、今後の改革開放では、一に政府の強大すぎる実権を縮小し、ジャッジや公共サービスの提供に徹する方向へ政府権能を改めていくこと、二に意思決定過程や情報の公開などにより、有効な権力監督メカニズムを構築していくことが不可欠である。いずれも中国政治体制改革の大難題であり、これらが「中華の復興」の最終課題として残るだろう。

(5)持続可能な環境調和型経済

環境破壊は中国の経済成長がもたらした数々の歪み(外部不経済)の中でも、最も突出した問題であり、かつ、ここ数年の政府の施策が最も劇的に変化した領域でもある。工業化と生活水準向上に伴う汚染物質排出の激増9により「このままでは国土も国民ももたなくなる」、「重工業偏重の経済開発政策のせいで資源多消費型・環境破壊型の産業を世界中から惹き寄せてしまった」、「野放図に増えるエネルギー使用により、エネルギー安全保障は悪化の一途を辿っている」といった危機感の高まりが、環境保護と省エネなど「節約型社会の建設」の取り組みへと政府の姿勢を一変させた。

第11次五カ年計画の期間に入った2006年以降、中国は資源・環境節約型社会建設に向けて、大幅な政策の強化を打ち出した。計画最終年である2010年に2005年対比でエネルギー使用原単位を20%削減することを「拘束力ある任務」としたのは、その一例である。また、このために、各省・市毎にエネルギー原単位削減ノルマを課すこととした。地球温暖化防止のための課題とされているcap & tradeにもつながる動きである。更に環境保全推進のためには地方指導者の意識や昇進インセンティブを変えなければならないとの視点から、ノルマ未達の地方の指導者は人事考課で減点することを制度化した。近年政府の財力が飛躍的に強まったことも汚水処理場の建設など環境対策の強化を後押ししている。

鉄鋼を始めとする重工業や電力業など特定の産業分野が国全体のエネルギー使用の過半を占めるのは世界共通であるが、中国はこれらの特定産業の多くが大手国有企業で占められるという「利点」を持つ。これら特定少数の大口エネルギー消費事業者に対して共産党と政府が人事政策も絡めて強い指導を行っている結果、製鉄所や発電所における大型省エネ設備や脱硫設備などの普及は急速に進んでおり、中国の省エネや大気汚染防止は今後一定の進展を見るであろう。ただ、本当に資源・環境節約型の社会を実現するためには「脱重工業」といった産業構造全体の転換が求められる。中国がそこまで達成できるかどうかは依然見通しがつきにくい。

(6)本章の結び

以上のように近時の目覚ましい経済成長は世界経済における中国の存在感を飛躍的に高めているだけでなく、中国の「国のかたち」をも大きく変えつつあり、多くの点で日本を始めとする東アジア諸国の過去と類似した発展段階を通過し、ある意味でより「普通の国」に近づきつつある。

しかし、一方で中国の急激な台頭はアジアのみならず世界の政治・外交、各国国民の意識にも大きな影響を与えつつある。様々な環境変化に対して、最も対応が遅く、問題を生じやすいのは、実はヒトの心理である。追いつかれる側も、追いつこうとする中国の側にも慣れない状況に対する戸惑いや反発の心理がある。以下では中国台頭という変化に直面して、中国と日本(ないし世界)それぞれがより望ましい将来を共有するためにどのような対応が望まれるかについて取り上げたい。

3.台頭する中国と国際社会の「和諧」

(1)「チャイナ・マネー」の時代 − 或る象徴的な出来事

2007年9月、中国投資公司(CIC)という会社が北京に設立された。外貨準備を転用して実に2000億?(≒20兆円)という巨大な資本金を擁する国策投資会社である。中国は前述のとおり元高を恐れて外為市場介入を続けてきた結果、2008年3月の外貨準備高が1兆68百億?に達した。現下の中国の対外債務や貿易量から見ても、1997年アジア金融危機のような深刻な緊急事態を想定したとしても、これほど多額の外貨準備は必要ない。さらなる成長に伴う元レートの上昇は中長期的に避けられないので、いま中国が膨大な外貨を保有することは将来莫大な為替差損を生む原因にもなる。

豊富な外貨準備を流用して積極的な対外投資を行う国策ファンドを総称して国家投資ファンド(SWF)という。中国以前にもシンガポールや中東産油国などでSWFの先例が数多く見られるのだが、中国投資公司の場合は大国による挙措だったうえに、その金額の大きさが世界中を驚かせ、良くも悪しくもかつてない大反響を呼んだ。誰でも知る海外の著名なビルや企業が、明日は中国政府の持ち物になるかもしれない時代がやってきたとも言えるからである10。まさに中国の経済的台頭が「世界の工場、中国」の時代とは異なる新たな段階に入ったことを象徴する出来事だと言えよう。

新興国SWFが台頭する中、投資を受け入れる側の先進諸国には、国家意思で運営され、経営の透明性も低いSWFに対する警戒感が表面化しており、安全保障を理由としてチェック・制限を強化する動きが目立ってきた。漠たる不安を背景に安全保障理由の制限がむやみに拡大すれば世界の経済厚生は損なわれ、誰も勝者がいないという結果になる。投資受け入れ側にも相互理解のための対話をする努力が望まれるが、投資側は受け入れ側に倍する努力を以て、不安感を誘うような行動の自制や情報の公開を心がけるべきであろう。世界の大勢とは政体を異にする中国については、とくにその必要性が高い。

(2)劣等感の克服 −台頭する中国に求められる社会心理学的課題

中国人は長きにわたって「中国は後れていてダメだ、ゆえに外国からもバカにされている」という強い劣等感と、中国を19世紀までの繁栄から20世紀のみじめな境遇に転落させた「列強」に対する被害者意識に苛まれてきた。今日世界が中国台頭を認めて敬意を払うようになったことで劣等感は癒され始め、悠久の歴史を持つ大国としての自信も回復してきたが、一面では周囲から大国として見られ、相応の責任を果たせと求められることに未だ戸惑いがあり、他面では外国の旧態依然たる中国観を感じて「台頭にふさわしい処遇を受けていない」と不満を持っている。戸惑いや不満は逆の形で中国台頭を受け入れる外国側にもあり、総じて急激な変化に中国も外国も未だ十分適応できていないと言える。

国際的地位の急速な向上に国民の意識の変化が十分随いていけないことについては、別の原因もある。改革開放とそれによる成長が中国に均しく利益をもたらした訳ではなく、大きな利益を享受した社会階層や地域が存在する一方で、他方には受益どころか損害を被った被害者や地域が生まれるという「勝者と敗者」の二極分化が生じていることである。勝者の典型は中央政府、莫大な利益を上げるようになった大国有企業や成功した経営者、そして沿海地方であり、敗者の典型は土地を追われた農民やリストラに遭った失業者、望んでいたような職業に就けなかった若者、そして内陸地方である。受益者・被害者、いずれの側に立つかによって、今日の中国の現状、世界との関係に対する評価は大きく異なる。

世界との日々の交際を通じて中国の地位向上を如実に感じている中国政府は外交場裡で自ら「責任ある大国」に言及するようになった。経済面では、上述の中国投資公司(CIC)の設立に自信の高まりを見て取ることができる。従来行っていた米国債購入など地味な外貨準備の運用方針を大きく転換した原動力は「中国も先進国を含む世界中に対して、資産や企業の買収を行う時代が来た、できるはずだ」という自信が生まれたことだと感じられる。

しかし、被害者の側に身を置く者にとって、情景はまったく異なって見える。例えば中国と海外との関係に風波が立つや、直ちに過激な言動に走る「憤青(怒れる若者)」と呼ばれる一群の若者がいる。多くは一身上の境遇にも、中国が国際場裡で置かれた境遇にも満足できず、「世の中どこか間違っている」と不満を抱く人達である。機会があれば抗議の声を上げたいが、政治表現に強い制約が残る中国ではそう簡単にできることではない。そのせいで中国に対する海外の挙措・言動に不公正ありと感じたときに「愛国主義」を標榜して示威行動に出ることが「はけ口」になりやすい。

経済に関して言えば、外国人とのビジネスについて、政府から一般のビジネスマンに至るまで、多くの人に「弱国心態」と呼ばれる意識が未だにある。外国人が儲けそうになると、自分がボラれているのではないかという疑心暗鬼、周囲から「買弁(戦前の中国によく見られた、国の利益を顧みずに私利を謀る商人)」をやったと誹られはしないかという不安が先に立ち、まとまりかけた商談をひっくり返す、結んだ契約を守らない、合作相手の取分が多すぎるとして諍いを生ずる等の現象が未だ頻繁に起きてしまう。中国人が慣れない海外で行うビジネスならいざ知らず、外国人がアウェイの中国で中国人を謀ることは簡単にできることではないから、多くは「過剰防衛」であり、外国人ビジネスマンを憤激させ、中国での金儲けは難しいと嘆息させることになる。商売は互恵互利でないと長続きしないものだが、パートナー双方の利益は何を以て公平とすべきかという点ついて、「弱国心態」のバイアスが依然として働いている。

(3)超大国へと向かう心理的過渡期 −求められる国際社会との「和諧」

膨大な数の「普通の」中国国民は「受益者」心理と「被害者」心理を共有する中間派だと言えよう。海外との関係に風波が立っても「憤青」ほど過激な言動に走ることはないが、ときとしてこの中間層が雪崩を起こすように反応する。2005年の反日デモがそうであったし、直近の事例として、チベット暴動を発端とした北京オリンピック聖火リレーに対する海外の妨害・批判を見て、新たな大雪崩が起きた。いまや隔世の感を覚えさせるほど世論を気にするようになった中国政府は、国民感情の雪崩が起きるたびに沈静化に大わらわになる。自信、希望とトラウマ、被害者意識の交錯のすべては、永年劣等感と被害者意識に苛まれてきた国と国民が政治的、経済的に台頭する過程で起きている移行時期の社会心理現象である。

聖火リレー騒動について言うならば、世界中至る所で起こった妨害活動は度を超しており、賞賛し得ない行動だったと妨害した側も反省すべきである。オリンピックは元来「平和の祭典」であり、中国人の心の中では「立派になった中国を世界に認めてもらうための機会」としての期待が極めて強い。その中で過激な妨害が、あたかも世界中で示し合わせたかのように起きたことによって、広汎な「普通の中国人」にまで「中国を分裂させようとする内政干渉」、「中国を世界の悪役として貶める動き」との強い反発を引き起こしてしまったことは非生産的だった。

しかし、世界はチベットの独立=中国の分裂を要求した訳ではない。2008年3月15日ラサで起きた騒擾は中国政府が主張するとおり「犯罪」だったろうが、犯罪に関係したとは思えない僧侶ら多数を拘束したり、厳しい監視・教宣の下に置いたりした中国政府の「自由・人権弾圧」に反発したのである。ところが、このことが中国国内に十分伝えられていない。情報を統制・管理する政府や共産党は海外からの人権弾圧批判を嫌がる上に、チベット問題では「ダライ・ラマや亡命政府=チベット独立画策分子」という紋切り型の反応パターンでしか対応しないせいである。西側の人権弾圧批判に対して、中国が「チベットは中国の不可分の一部」と応酬するという奇妙なすれ違いが起きた責任は、主に中国側にある。

中国が情報を統制・管理するのは国内の「安定」を重視するためという。しかし、共産党と政府には「愛国教育」を政体の安定と正当化のために重用してきた過去があるため、施してきた教育・宣伝と矛盾する海外情報を遮断したり、加工したりする。その結果、中国国民は、あるいは海外が自国を批判する理由が分からずに、あるいは耳慣れない海外の議論に反発して、ますます愛国感情を刺激される。中国政府は、これが暴走して国際関係を悪化させることを怖れる一方、過去の経緯から「愛国運動」を果断に統制することもままならず、悪循環が起きている。このような形で維持される「安定」は持続可能性の乏しい、うわべの安定ではないかと感じられてならない。

前章で、いま中国政府が「和諧社会」を標榜していることを述べ、社会的に発生しているコストを内部化しないまま、見かけの低コストを謳ってきた従来のやり方が社会の歪みを産んだという反省から、コストを内部化する努力が進められていると述べた。しかし、「和諧」の理念を国内に限定する理由はない。国際社会との間にも「和諧」が必要である。大国の常とはいえ、中国が国内の「安定」にばかり気を取られる結果、国際社会との和諧が傷つく状況はコストを外部に排出するのに似ている。

いまや超大国への道を駆け上がる中国で、今回のような国民感情の激しい振幅が起こることは世界中を当惑させ、怖れさせる。中国国内にも伝統的な「愛国教育」史観が今後国際社会との調和を図っていくうえで大きな障碍になると憂うる意見がある11。海外との間に意見の相違が残ることは問題ではない。耳慣れない意見を聞いても激昂しない、成熟したナショナリズムの育成が必要なのである。

国際社会の側にも、過去のトラウマと現在の問題を多く抱える中国が人権問題その他を改善するには時間が必要だということを理解し、建設的なコミットメントを息長く続ける努力が必要であろう12。他方で中国の側にも、海外の声をありのまま国民に知らせる勇気とそれを可能とする体制の改革が求められる。そうして国際社会との「和諧」の実を挙げることが中国の長期的、安定的な発展を図る上で最大の課題になるだろう。

4.日本のあるべき対応

(1)最重要経済パートナーになった中国

中国の経済的台頭は、日本経済にもかつてない大きな影響をもたらしている。日本は90年代以降のいっとき、バブル崩壊がもたらした長い経済低迷を経験した。経済は2002年頃から企業のリストラ努力などによりようやく立ち直りを見せ始めたが、当時の日本経済にとって「干天の慈雨」になったのが、中国経済の急成長がもたらした輸出の増大だった。2000年に日本の対米輸出額の4割に過ぎなかった対中輸出(香港含む)は、2007年には対米輸出額を2割上回り、中国が日本の最大の輸出先になった。90年代に世界銀行の研究調査が「中国WTO加盟の最大の受益国は日本」と予言したことが現実になったのである。

中国は今や日本経済の繁栄を左右するほど重要な日本の経済パートナーになり、その傾向は今後も強まることはあっても弱まることはないであろう。既に成熟した日本経済にとって、隣国中国の経済発展をいかに自らの繁栄と活力の維持に活かせるかは、今後の経済政策最大のテーマの一つだと言っても過言ではない。

(2)中国の成長を活かすために必要な発想の転換

考えてみれば、日本はこの一世紀半、非白人国として特異な道を辿ってきた。戦前は近代化を達成した唯一の非白人国だったし、敗戦から立ち直って以降は30年以上にわたって「世界第二位の経済大国」の地位を維持してきた。途中で敗戦による低迷を挟むとはいえ、百年以上非白人国ナンバーワンを自認してきた結果、日本及び日本人はまるで「欧米ではないがアジアでもない中間に位置する」ような錯覚に囚われてきたのではないだろうか。

いま多くの日本人は「中国及び中国人(または「アジア」)を見下す、軽く見るようなことはない」と言う。しかし、それでは日系企業が中国でしているのと同じように、中国企業が日本で企業や資産を買収したり、日本人を雇ったりするといった事態に、我々はどれほど心の準備があるだろうか。「別に中国にだけ心の準備がない訳ではなく、外国企業すべてに慣れていないのだ」という弁解も聞こえてきそうだが、「相手が中国となると、ことさら戸惑う」のではないか。

従来の日中経済関係は、日本企業が中国に投資する、日本人が中国人を雇う、招くという形で、常に「主語=日本人」の片道通行だった(同様の思考の惰性は中国側の「弱国心態」にも見られる)。この一方通行を改めることこそ日本が今後の中国の成長を活かすために必要なことである。

中国富裕客にもっと日本観光に来てもらう、中国の対日投資(証券投資や企業買収)を促進し、中国企業の日本上場を誘致する、中国企業に日本で日本人を雇って、税金・社会保険料を払ってもらう・・・それらがみな今後の日本にとって大きな利益になる。かたや労働集約的産業など競争優位を失った産業の対中移転は否応なく進むのだから、日本がこれを補える十分なメリットを吸収するためにはこれまで見落としていた「盲点」を見直し、発展させることが重要である。これはもちろん、中国にだけでなく、すべての外国に対してそうあるべきである。

そう言うと他力本願に聞こえるかもしれないが、これを零落だと嘆く必要はない。後発諸国の経済力を活用することは、成長と活力の維持のために欧米先進諸国も行ってきたことであり、過去には今の中国と同じように台頭する側だった日本が欧米諸国に歓迎され、良い待遇を享受してきたのである。嘆く前に、世界のどこでも行っていることを日本だけはやらなくても済むのかを考えるべきである。

(3)開放の進んだ中国市場

中国WTO加盟時の市場開放約束の履行が2006年末に完了したことにより、日本製品の対中市場アクセスは関税面でも非関税障壁面でも大幅に改善し、いまやモノ貿易における問題点は、レアメタルや穀物における中国側の輸出制限(輸出税や増値税の還付停止を含む)に焦点が移りつつある。

投資やサービスについても開放は進みつつあり、とくに最近は、卸・小売業の市場開放が進んだために、日系メーカーの自社流通販路構築や日系小売業による店舗展開などのための投資が急速に進んでいる。金融や不動産、電気通信などは、依然として外資の進出形態や出資比率等に厳しい制限が課されている分野も残っており、その開放が待たれるが、問題はむしろチャンスを十分活かせずにいる日本企業の元気のなさにあり、欧米を始め多くの国の同業企業が争って進出しているのに、すっかり後れを取ってしまっている分野がいろいろとある。

更なる市場開放や規制緩和を中国側に求めるべき領域は残っているとは言うものの、総体としては、日本企業が中国でビジネスを行いたいのに、中国の政策が原因でできない、しにくいという問題は10年前と比較すれば大幅に減少した。外資規制はどこの国にもあり、中国が他国と比べてとりわけビジネスのしにくい国ということはなくなった。そのことは世界各国の外資企業が引きも切らず中国に進出、あるいは中国事業を拡大していることにも示されている。

他方で、中国の市場開放が進んだのは中国企業の実力が向上した結果、開放や規制緩和が可能になったからだということを忘れてはならない。外資企業は中国で世界各地のライバルに加えて中国企業と競争しなければならない。このマーケットは広大だが、世界で最も激戦の市場でもある。そこで競争に打ち勝つのは企業の仕事である13。すなわち今後の日中経済関係の進化・発展は、政府間交渉による環境整備だけでなく、企業の自助努力、経営戦略に委ねられる部分が大きくなるということである。

5.日中の経済統合に向けて

(1)ウィンウィンをもたらす経済統合

中国経済の台頭により、日中両国の経済関係は今後さらに緊密化していくであろう。日本の経済と企業は活力を失わないかぎり、世界でも最も成長性ある中国市場で裨益していける。舞台は中国だけではない。力をつけた中国の経済と企業から日本国内がどれだけ裨益していけるかは、上述のように日本の発想の転換次第であるが、そこにはこれまで手を付けてこなかった分、中国における日系事業を上回る将来性がある。

もとより両国経済の緊密化はメリットだけをもたらす訳ではなく、マイナスの影響を受ける産業セクターや地域が当然出てくるが、それでも両国の経済の事実上の統合が進むことは競争による経済の効率化や資源の最適配分を通じて、総体としては両国にウィンウィンの結果をもたらす。

(2)日中FTA/EPAの締結 ― 長期的展望

問題はこの経済の統合を進めるために、両国の政府及び経済界にどのような方策、手段があるかである。日中両国はともに東南アジア諸国を中心に、二国間の貿易自由化等を狙ったFTA(自由貿易協定)締結を進めており14、交渉中のものを含めると、その範囲は豪州・チリ(日中)、インド(日本)、パキスタン(中)など東アジア域外にまで及んでいる。しかし、日中ともに相手を近い将来の対象国とは考えておらず、ASEAN+3やAPECなど既存のフォーラムにおける専門家研究等に委ねるに留めている。

FTAやEPAはモノ貿易での関税撤廃や投資自由化など短期的に双方の国内関係業界の痛みを伴うし、日中双方は互いに巨大な経済パートナーのため、影響も特大である。さらに、二国間協定の締結は経済政策の意味合いだけでなく、政治・外交そのものでもあるため、国内政治からみれば両国国民の支持やその下地となる相手国への好感無しには成就しにくく、日中FTA/EPAが本当に成就すれば、太平洋を挟んだ地政学にまで影響が及ぶ。これらの点を考えると、日中双方の政府にとってFTA/EPA締結が簡単にアジェンダに載せられるものではないことは事実である。

両国に多大のメリットをもたらす日中FTA/EPAの締結が当面期待できないことは残念だが、これは中長期の課題であり、両国関係の深化・成熟化の手段というより関係の深化・成熟化の暁に達成される課題だと見るべきであろう。他方、FTA/EPAなしでは日中経済は統合できないと悲観する必要もない。条約の締結という大上段の構えを取らなくても、「事実上の経済統合」促進のために実行可能で、効果の高い課題が目先にもいろいろとあるからである。

(3)官民が取り組むべき当面の優先課題

以下では、日本の政府及び経済界(企業)が取り組むべき目先の課題として、常々必要だと感じていることを幾つか取り上げる。

a)

人の移動規制緩和

第一は、政府による環境整備という観点から、人の往来の制限緩和である。新しい経済関係を築くためには中国人が日本で活躍できる(主語になれる)空間を拡げる必要があるが、目下最大の障碍は人的移動の制限にある。日本人なら15日以内はビザなしで行き来できるが、中国人の来日には依然としてビザが必須であり、制限が緩和され始めた団体観光ビザを除けば、ビジネスで日本に来るためにも2週間前に申請して商務ビザを取らなくてはならない。しかし、必要があれば直ぐに日本に行けるような状況でなくては、ビジネスは成り立たないだろう。

もともと閉鎖的と言われる「島国」文化に外国人犯罪への懸念が加わり、日本の出入国管理は外国人に厳しい。それ自体がおかしいとは言えないが、当局が問題のない外国人を審査するのに無駄な時間を取られる必要はない。不必要な規制は緩和する一方で審査対象を絞り込み、逆に取り締まりを重点化するといったメリハリが求められている。

中国人の訪日機会を増やすことの意味は、単に観光産業やビジネスの振興に留まらない。多くの中国人の「日本イメージ」は、日本にも日本人にも親しく接した経験のないまま国内メディアから得た情報に頼って作り上げられており、日本から見ると、荒唐無稽、偏見と言わざるを得ないものが多い。その証拠に、初めて訪日する中国人の多くは現実の日本に接することで日本イメージを「上方修正」して帰国の途につく。目下の日中関係の最大の問題は両国国民の相互不信任にあると言われるが、より多くの中国人に現実の日本を体験してもらうことは、この問題の解決のためにも重要である。

b)

金融面の交流強化 −アジア共通通貨に至る路

第二は経済界の努力によるが、金融面の日中提携をもっと発展させることである。金融はこの数年の中国経済の中でも最も急速な発展が見られ、また、開放が進んだ分野であるが、参入の門が開いた肝心の時期に、日本の金融界は不良債権処理で体力を消耗していて中国進出の余力がなかった。この間に香港、欧米をはじめカナダ、オーストラリアの金融機関までが日本の先を行って中国に進出、拠点の開設、各種の投資、中国金融機関との提携などを進めた。この「不戦敗」は悔いてあまりある。

日本金融機関のビジネス形態が日系企業向けサービスに限局されていることも問題である。中国に進出した日系企業は数多いが、広大な中国市場の中では点のような存在に過ぎない。また、いま日系企業が求めているのは「販路拡大のためにどこの中国企業と組めばよいか」といった情報であるのに、中国企業を顧客とせず、(監督当局を除けば)政府との付き合いも限られているために、顧客よりも中国企業のことに暗く、これでは日系顧客サービスもままならない。ビジネスが日系顧客中心なため現地の体勢も日本人主導、ローカルスタッフの多くは補助要員でしかなく、定着率も悪い。このような現地化の遅れが中国市場への浸透を図るうえでも障碍になっており、悪循環が起きている。

以上の問題を解決して遅れを取り戻すことは、成長するアジアで日本金融機関が生き残れるか否かに関わる重大問題だと言えよう。さらに、前述のSWFが象徴するように、これからの中国は投資先という以上に、資金の出し手、投資家としての性格を急速に強めていく。この資金を誰が取り込めるのかの競争が既に国際金融業界で始まっている。

さらに、日本における金融を日本人、日本企業だけに委ねる発想を変える必要もある。日本の実体経済は中国や東アジアとの結びつきを日増しに強めているが、日本の株式市場は連日前夜の米国市場をなぞったような写真相場で動くことが多い。理屈の上では、金融市場でもアジア内の出来事との連動性がもっと高まってよいはずだが、そうなっていないのは、日本市場に中国や他のアジアのヒト、カネが十分来ていないことにも原因があるように思われる。金融・資本面で中国を始めとするアジアとの結びつきが深まることは、実体経済発展の趨勢とも軌を一にすることになる。

そうしてモノだけでなくカネの往来の面でも結びつきが深まれば、アジア経済圏における通貨の連動性(すなわち域内での為替安定)にもつながり、ひいてはアジア共通通貨導入への道を拓くことにもなる。以上のような意味で、製造業だけの日中経済関係ではなく、金融と実業を車の両輪とする経済関係を目指すことが極めて重要である。

c)

重点分野での二国間協力の強化

日中は古くから「一衣帯水」と言われてきたが、隣国同士の結びつきには望ましくない面もある。中国の亜硫酸ガス、砂漠化による黄砂の影響、海域の汚染などの越境環境汚染問題はその典型例であり、日本国民の関心も極めて高い。日本の環境技術の優秀さは世界に冠たるものであるのだから、日中両国がこの面で協力することの意義は大きいはずである。

越境汚染ほど注目を浴びていないが、同じ地域に暮らす同士として忘れてならない重要課題は、2003年のSARSや今後爆発的流行が恐れられるH5N1型鳥インフルエンザのような大規模感染症に対する地域を挙げての協力体制作りである。

日中の提携・協力が求められる分野は以上に限られないが、両国国民の健康や暮らしに直結し、関心も高い分野の協力はもっと進められて然るべきであり、このような分野で必要があれば、日本のODAを中国に改めて供与することも検討すべきである。

(4)結び

日本と中国は2000年にわたる交流の歴史があるが、前世紀の日中戦争はこの交流の歴史に大きな痛手を負わせ、とくに被害を受けた中国国民の心に深い傷を遺した。本来互いにないものを補い合える日中両国は理想的な相互補完型パートナーになれるはずであり、その関係を深化・発展させることが両国国民の利益と幸せに繋がるはずであるが、その可能性が十分活かせていないことは残念である。

しかし、本稿で見てきたとおり、中国は過去30年の改革開放により目覚ましい発展を遂げ、「国のかたち」も変わり、国民の傷ついた心も癒され始めている。あれほど大規模な侵略戦争がもたらした負債を名実共に清算するには長い時間が必要であろうが、いまから7年後の2015年は日本の対中侵略の始まりとも称される「対支21ヶ条要求」から100年が経つ年である。不幸な歴史の始まりから1世紀を経て、日中両国がより信頼し会える、互恵のパートナーシップを築けていれば、世界史の相場から見ても清算が遅すぎたということにならないだろう。その時期が早く来れば来るほど日中両国と両国民にとって幸せな未来が待っている。そのために双方が努力を続けるべきであると思う。


1

中国社会科学院人口与労働経済研究所長の蔡?氏や国務院発展研究センター農村経済部長の韓俊氏らによる。これによれば、農村労働力の50%以上は既に農業以外の産業や都市部に移転済み、常時出稼ぎに出ている労働力も25%近い、中国全土の 3/4 の農村で、30 歳以下で出稼ぎに出られる者は殆ど出稼ぎ済みであり、農村になお1億人の余剰労働力ありとしても、働ける40 歳以下はほとんど残っていないという。

2

「発展途上国では農業部門に大量の余剰労働力が存在するが、工業化に伴う経済発展とともにこの余剰労働力が工業部門に吸収されていく。余剰労働力がなくなるまで、賃金は最低限の水準から上がらないが、余剰労働力が枯渇すると、工業部門は農業部門から雇用を奪う形で労働力を確保しなければならなくなるため、賃金が上昇し始める」とする学説がある。この賃金上昇が始まるタイミングを提唱者、経済学者アーサー・ルイスの名前を取って「ルイスの転換点」と呼ぶ。

3

過去30年近く堅持されてきた「改革開放」政策の是非・功罪を巡って起きた大きな論争は、伝統的な右派対左派の党内路線対立としてではなく、新左派と呼ばれる新勢力がネットやメディアを巻き込んで「改革開放」路線とその支持者を批判するという、かつて見られなかった新しい形態で行われた。そのこと自体、中国内政が新たな段階に入りつつあることを如実に示している。

4

胡錦涛政権が「五つの調和」(都市と農村の発展の調和、地域の発展の調和、経済と社会の発展の調和、人と自然の調和の取れた発展、国内発展と対外開放の調和)の理念を発表したのは2003年10月の共産党第16回大会3中全会、「和諧社会(調和の取れた社会)」の理念を提出したのは2005年2月であり、以後これを政権の中心テーゼとしている。なお、改革開放をゆるぎなく堅持するとの決意表明は、これらの論争や上述のテーゼ表明などを経た後、2006年2月に胡錦涛国家主席により表明され、改革開放政策の是非を巡っては、これで一応の決着が付けられたことになっている。

5

中国では2003年頃から外国投資と輸出の増大に加え、中国経済の将来性を買って流入するホットマネーが急増し、外貨から人民元への交換需要が急増した。通貨当局は人民元レートの上昇を防ぐために、大量のドル買い介入を行っているが、その裏側ではドル買い代金としての人民元が市場に大量に放出される結果、貨幣供給が増大する。2003年以来中国の貨幣供給(M2)が成長率を大幅に上回る速度で急増しているのはこのためである。

通貨当局は通常、貨幣供給に影響を与えずに市場介入を行うために、いわゆる不胎化介入を行う。中国も中央銀行手形(「票据」)発行により放出現金を市中から吸い上げるよう務めているが、既発国債が足りずに手形を新規発行しているため、貨幣供給膨張を防ぐ効果は限定的である。

中国が元高防止政策を採り続けた背景には元高に対する強い恐怖感がある。大多数の中国人は、そこで円高に悩まされ続けてバブルの発生と崩壊を経験した日本の先例を参照し、「為替レートの急上昇はかくの如く経済に有害なので防止しなければならない」という片面的な教訓しか参照していないが、真に参照すべき日本の教訓は「為替レートの上昇による経済停滞を恐れ、これを防ごうとするあまり、行き過ぎた低金利政策等を採り続けた結果、バブルの発生と崩壊を招いた」ということである。

6

2004年に発表された郭樹清(人民銀行副行長(当時)、現建設銀行長)による「中国経済の均衡ある発展のために解決すべき課題」という論文を嚆矢とする。

7

中国の中央・地方政府の税収入(関税除く)は1999年に1兆元の大台に乗った後、急激な増加を示し、2007年には4兆9442億元(≒74兆円)と8年間に実に5倍近い伸びを示した。

8

成長の果実を公平に均霑すべく農民や恵まれない階層、そして地理的には中西部地域に対して財政による所得移転を増大させている共産党の姿を見て、高度成長以後の日本の「自民党政治」に似ているとする人もいる。道路特定財源問題のような後遺症を遺した「田中派」型政治であるが、今日振り返れば、あれはあれで、当時の日本が安定と調和を保つために必要とした日本式の「和諧社会」主義であったとも評しうる。

9

1次エネルギー供給の2/3を石炭に依存する中国では、排出される煤塵の70%、SOXの90%、NOXの67%、CO2の70%が石炭燃焼に由来しており、それらの排出物質のせいでpH5.6以下の酸性雨降水地域が全国面積の30%を上回る。省エネは地球温暖化防止の観点だけでなく大気汚染防止の観点からも必須であり、その意味で公害防止と温室ガス排出削減がかなりの程度重なり合っている。

また、大気汚染以上に深刻なのが水質汚濁と水資源不足である。重工業化による工業用水の増加、都市化・生活水準の向上による生活排水の増加が顕著で、下水処理場の建設は進んでいるが(下水処理率はようやく半分を超えた)、COD、BODの増加が止まらない。さらに用水量の増加に伴い、とくに降水量の乏しい北方で、水源としている地下水の水位低下が起きている。

10

中国の外貨準備はこれまで米国債など目立たない形で運用されてきたが、今後は海外の著名企業や資源権益、不動産の買収など、各国の経済、国民にとってはるかに身近で注目を集めやすい分野に投資という形で運用されることになる。ちなみに、中国がお手本にしたと言われるシンガポールは、TEMASEK社及びGIC社 という二つのSWF運用機関を運営している。前者は日本で三井生命保険に第三者割当増資(06年9月、200億円)、伊藤忠グループのアイ・ロジスティクス社と物流関連投資等の提携(06年3月)、ソフトバンク・インベストメント社との中国向け投資共同ファンド設立(06年5月)、東京ベイ船橋ビビットスクウェア(大型SC)買収(05年11月発表、220億円、子会社Capitaland による)などに投資を行っており、後者GIC社は、汐留シティセンター(1997年投資)、川崎テックセンター(2001年)、品川シーサイドイースト/ウェストタワー(06年6月)、プロロジス社との物流施設開発共同ファンド(06年9月、約6億米ドル、同社との2号ファンド)、ヤフードーム (2007年4月発表)などに投資している。お手本から推測すると、はるかにハイプロファイルな運用になることが予想される。

なお、2008年1月、中国投資公司が今後予定する海外証券投資の対象に日本市場も含まれることが報じられた日には、これを歓迎して東京証券市場が大幅な上昇を見せた。

11

「中国青年報」の人気週刊欄だった「氷点」は、2006年1月11日付けで中山大学袁偉時教授の「現代化と歴史教科書」という論文を掲載した。袁教授はこの論文で19世紀清朝末期に起きた二つの排外事件(円明園焼討事件と義和団事件)を題材にとって、当時の中国(民衆)の行動には狭隘な排外主義的性格があり、それが後に中国に大きな災厄を招いたと批評するとともに、中国の教科書が今なお「『洋鬼子』は侵略者であり、中国人がすることこそ道理に合っている」 式に教えていることについて、時代に合わず有害だと批判した。次世代の中国人に自分に対する「熱狂」や「排外敵視」を教えてはならない、という考えに立ったものだという。同欄はこの掲載が原因で停刊処分を受けたが、後日の事態収拾の様を見ると、共産党や政府にも、過激化する「愛国主義」に対しては、憂慮の念が強いように見受けられた。

12

ジャック・ロジェIOC委員長は今回の聖火リレー問題に関して「西側は中国に対してあまり偉そうな態度を取るべきではない、フランスは革命から今日の状況に至るまでに200年かかったが、中国は1949年から始めたばかりだ、西側はつい最近まで人権侵害だらけの植民地を囲っていた、彼らに自由を与えたのはわずかに40年前だ」と発言したと報じられている(“Olympics chief tells west not to hector China” 4月25日付けFinancial Times)。政治にもみくちゃにされるIOCトップの困惑が漂う発言ではあるが、同時に、中国の人権侵害を批判する西側にも身勝手や傲慢があることを西側内部から指摘する声として傾聴に値する。

13

もちろん、「官」の実権が強いお国柄のせいで個別の認可が下りにくいといった問題があるが、それはどの国の外資企業も同じである。たとえば、金融分野などで米国政府が中国政府とのハイランク交流を通じて、米国金融機関の対中進出を支援していることを挙げて、日本政府から同様の支援を得られない日系金融機関は競争上著しく不利だという意見があるが、筆者の知るかぎり、米国だけでなく諸外国の金融機関トップは中国当局に対して進出の

(2008年7月3日)