「政府が『マクロ・コントロール』を再び実施するとの情報があるが、どうみるべきか?」読者からこういう質問があったが、私はマクロ経済については同僚の宋国青教授に聞いてほしいと答えた。北京大学中国経済研究センター(CCER)の「中国経済観察報告会」は4月末に今年度の第1回例会を開くので、興味のある読者諸氏は宋教授と討論されるとよい。
私が言いたいのはただ一言、ミクロ・コントロールはやめてほしい、ということである。ここで言う「ミクロ・コントロール」とは、政府が短期の経済運営を安定化するために、企業の産出や価格に直接干渉したり、市場への退出入を統制することを指す。経済を天気に喩えてみよう。気温が高すぎるとき、政府は財政支出の削減、金利引き下げなどの手段を講じて市場関係者の予測を変えることで経済の気温を下げようとする。これが本来のマクロ・コントロールである。個々の企業―即ちミクロ―の場合、気温が下がる条件下でどのように行動するか、例えば服をもう1枚着るのか、それとも1枚脱ぐのかは、企業の体質がそれぞれ異なるため、マクロ・コントロールでは関与しないし、できないものだ。ひとたび、気温が高すぎる、もしくは低すぎると判断されても、全ての人に一律に「服を着ろ」だの、「脱げ」だのと号令を発するものではないが、それをやるのが、ここで言うミクロ・コントロールである。
私はなぜミクロ・コントロールを望まないか?数年前に行った調査研究から話を始めたい。私は2003年までずっと農地転用制度について研究を行っていた。その年の秋、エール大学訪問を機に「農地利用権と土地収用制度」と題する研究論文を完成させた。翌2004年春の学期終了前には私が籍を置いている北京大学中国経済研究センターが政府の関係部門から委託を受けたので土地問題とマクロ経済の変動の関係について専門的な調査研究を行った。当時、土地問題が改めてマクロ・コントロールの重点、そして焦点になっていたのである。私は数人の同僚や学生たちと江蘇、浙江、安徽、湖南などを調査のために1ヶ月半ほど訪れ、未発表であるが1冊の研究報告をまとめた。
この研究によって、政府が都市開発用地の供給を集中管理しているために、わが国では政府の掌中に貨幣発行権だけでなく中国独特の土地供給権もあることが分かった。つまり、貨幣だけでなく「土幣」も存在し、資金供給以外に「土地供給」が共存しているのだ。私たちは研究によって基本的な枠組みを次のように理解した。経済の拡大期には、中央政府は積極財政と金融緩和を実施すると同時に、実は「土地供給」も大幅に緩和する。つまり、中央政府が土地収用の許認可規模を顕著に拡大し、同時に、地方政府は競争のプレッシャーがかかる中で「土幣」を増発する傾向が見え隠れするのである。経済の縮小期には、中央政府は金融を引き締めるのと同時に、「農地転用審査の凍結」、「農地転用に関する許認可権の上級機関への召し上げ(集中)」などの方法も使って全国の土地供給規模を実質的に引き締める。当時、私たちは「この点において、今回(2004年)のマクロ・コントロールも例外ではない。中央政府は土地プロジェクトの全面的な整理整頓を明言し、同時に全国の農地転用許認可を半年間凍結すると宣言した。国土資源部首脳は『土地供給政策は金融・貨幣政策と同じように、国の最も重要なマクロ・コントロールの手段となった』と述べている」と指摘した。
しかし、私たちは「政府による土地供給総量と供給メカニズムの規制によってマクロ経済の変動を積極的にコントロールする」政策の傾向に賛同するものでは決してない。理由は、「行政による許認可権に基礎を置いた土地供給規制は政策ツールとして使い物になりそうもなく、経済運営を安定させる重任は担えない」からである。私たちはさらに、実質金利が1997年から急上昇し、デフレの兆候が顕著になりはじめた頃、中央政府が1997年から全国規模で土地の供給を1年間凍結すると宣言し、結果的に金融と「土地供給」の双方で引き締めを行ったことが1998年から2000年に至るデフレの深刻化に「貢献」したことを経験に基づいて指摘した。面白いことに、行政禁止令の多くがうやむやのうちに終わってしまうのと同様、1997年の土地供給凍結令も明確な宣言もないまま、こっそりと解除された。1999年1月にはわが国の土地管理新法が施行され、これもまた政府が土地供給を再開する「転換点」となった。その後5年間に全国で累計して78万ヘクタールの土地が供給され、2002年末には全国の建設用地面積が1998年末の総面積に対して15%増となった。この期間に違法な土地供給が大量に発生したことを考慮すると、実際に転用された土地の規模はさらに大きいはずである。土地供給と融資のフローに照らすと、政府による土地供給量の増加は必然的に「企業資本金の増加→銀行融資の増加→投資総規模の増加」という連鎖反応をもたらす。2001年から2004年にかけて、中国経済は有効需要不足によるデフレ状態から突如、いわゆる「過熱」もしくは「局部過熱」状態に転じたが、そこに影響を与えた顕在的な因子は金利および貨幣発行であり、潜在的な因子はおそらく政府による土地供給であった。
報告の結論は以下の通りである。長期的に見て、土地制度の改革・確立に当たって短期的なコントロールを目標とすることは特に避けるべきである。土地制度問題において求められることは、都市化と工業化の推進のために、空間資源の適正配置のために必要な依拠可能なインフラ制度をうち立てると同時に、民相互、民と官および官相互の間に存在する土地資源の配置や再配置にまつわる利益の分配と均衡を図るという問題をきちんと解決することである。このためには、土地(使用権)譲渡権の要件や内容を明確化した上で、優れた土地市場を育てなければならない。また、我々は計画経済時代に生まれた現行土地制度がもはや、わが国国民経済成長の需要に対応できなくなっていることをはっきりと認識しなければならない。わが国の土地収用制度は全面的な改革が必要である。世界各国の広範な実例と我々自身の得た教訓を集めた結果、「通貨は通貨に帰し、土地は商品に帰する」ことこそが時代の正しい流れと方向性を表していると私たちは考えている。
こうした考え方は当然、より長い時間をかけた検証が必要である。しかし、「政府が集権的に管理する土地供給はマクロ・コントロールの適切なツールではないし、なりようもない、政府の許認可による土地供給規制はかえって国民経済のぶれを大きくし、マクロ経済を混乱させる可能性がある」との私たちの主張は、その後改めて検証されることになった。2004年、全国で土地供給が突如縮小したことが、見事なまでにロジカルな形で2005年における全国住宅価格の上昇をもたらしたからである。2005年の第3四半期に開かれた「北京大学中国経済研究センター(CCER)中国経済観察報告会」の席上、私はこれに関する分析を発表した。私は、不動産の需要がすでに形作られている状況下で土地供給を厳しく規制すれば売買価格をつり上げるだけだと考える。つまり、ミクロ・コントロールではマクロ・コントロールの目標を実現する助けにならないばかりか、行動と目的がかみ合わず、混乱を増すだけということである。
2004年5-6月間の調査に戻るが、この調査ではもう1つの重要な収穫があった。それはわが国の移行経済において、何度消えても再び姿を現す「設備過剰」現象を再認識し、重要なミクロ経済的メカニズムを見つけたことである。私たちは調査期間中に江蘇省常州市で、全国を震撼させた鉄本事件(注1)に遭遇した。鉄本鋼鉄有限公司のプロジェクトが土地許認可規定違反とされたことから、私たちはこれを研究対象にしたい旨の申し出を行い、幾多の曲折を経て、ついに拘置所で鉄本の責任者だった戴国芳と数時間言葉を交わすことができたのである。私たちの動機は単純で、企業や銀行、政府が莫大な代価を払ったからには、そこから経験や教訓を「買える」はずだ、ということであった。
去年暮には事件の持つ機微さが減じてきたので、私は社会各界が鉄本の教訓を冷静に考えることができるだろうと考えて、このコラム欄に「『設備過剰』の原因」と題する文章を発表した。書き足りない部分があったため、今年の1月には「『設備過剰』を再論する」という一文を補足した。2つのコラムの主旨はいずれも戴国芳との会話からヒントを得ている。私はまず、後発参入者を刺激して大量の投資を呼び込む原因は、取りも直さず当該産業内に生産効率の低い企業が数多く存在することにあると気付いた。市場で長年揉まれてきた業界人が「設備過剰」の恐ろしさを知らないはずがあろうか?しかし、彼らは戴国芳と同様、たとえ深刻な設備過剰が起きても、優勝劣敗の過程の中で退場を余儀なくされるのは、投資効率も生産効率も低い競争相手の方であって自分たちではない、と信じている。当否は別に、彼らはとにかくそう考えているのだ。
その後、私はこの「戴国芳式判定基準」にあれこれの加工を加え、わが国が目下直面する「設備過剰」問題に関して、産業を概ね次の3類型に分類してみた。(1)すべて国が独占し、政府が価格を決めている産業で、設備過剰現象はあまり起きておらず、中でも電力、石油の類いは折につけ「モノ不足経済」の状態がぶりかえしている。(2)(1)の対極にあるのが、全てもしくは大部分を民営・私営企業が仕切っている産業であり、市場への退出入も自由、価格も自由化されている。ここでも深刻な「設備過剰」現象は見られない。(3)「設備過剰」が最も深刻なのは、間違いなく次に該当する産業である。国有企業やら私営企業やら様々な所有制の企業が同時に立ち上がる産業であり、市場に参入すると簡単には退出できないし、政府が頻繁に干渉するような産業である。とくに、移行経済下の深刻な「設備過剰」には2つの特別な誘因があると思われる。1つは投資政策の失敗を他人に責任転嫁できる企業が未だに数多く存在することであり(注2)、取りも直さず、こうした企業が存在することが競争で優位に立つ企業が刺激を受けて大量に参入してくる原因になっている。もう1つは、こういう産業においては企業の買収合併も難しく、後発の市場参入者が資産買収を通じて生産能力を確立することを非経済的要因が阻害していることである。そのため、一旦市場にチャンス到来となれば、いやが上にも設備が積み上がる結果になる。
このような設備過剰は当然のことながら、ミクロ・コントロールでは解決できない。国家発展改革委員会はここ数年、生産規模や技術水準によって個別企業の「生き死に」を宣告するのに忙しいが、それは設備過剰を絶えず解消しながら次の新たな設備過剰を刺激しているにすぎない。生産規模や技術水準と市場での競争力はいつの時代においても同義ではありえない。人々は、政府が生産規模や技術水準に優れていても競争力に劣る企業に生産許可証を発行するのを目にしてもそれに納得した訳ではない。規制が緩くなるのを待って――どのみち早晩緩まるのだが――再びそれは襲ってくる、つまり「設備過剰」現象が「捲土重来」するのである。