津上俊哉 現代中国研究家・コンサルタント

津上一目押し

韓国との交流は実力より謙虚さが重要
2006/03/08
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王義桅

■韓国ナショナリズムは自己存在のアピール

 韓国に着いたばかりの頃、私は水やコーヒーを飲む当地の習慣に馴染めず、つい、韓国人の友人にこぼした。「なんで韓国ではお茶を飲まずに水を飲むんだろう?それに、どうしてこんなに教会が多いんだろう?アメリカでもあるまいし・・・」すると彼は答えた。「異なことを言うね、『韓国はもっと中国みたいであるべきだ、どうしてその本分を忘れるんだ?』とか考えていないか?」これを聞いて私は実に相済まない思いをした。どうも我々はこの手の「中華思想」をなかなか捨て去ることができない。

 帰国後、韓国を訪れた中国の友人から感想を聞いた。「韓国は中国と袂を分かちたいんだ。ソウルの中国語表記を「漢城」から「首爾」と改めたのがその典型的な例だ。」彼の口ぶりを聞いていると「韓国は中国の周囲を廻っているべきだ(中国天動説)」とでも言いたげだ。しかし、韓国はかつては中国の「朝貢体系」下にあったとはいえ、古来より独立自主の国家である。世宗大王が1446年にハングルを公布した動機も漢字の難しさが庶民の識字率向上の弊害となるからで、中国から離れたいとの意図からではない。

 我々中国人の一部が韓国をバカにしたり、韓国の過去を見くだしたりするというのは、「大中華」の歴史の高みに立って朝鮮の歴史やその延長下の風俗習慣を考えているということだ。現実はそんなに単純ではない。中華文明を継承してきたのは中国だけではないし、その一部については中国よりも韓国の方がよほど立派に継承している。江原道江陵の「端午祭」が世界無形文化遺産に登録されたが、中国人の中には、それに納得がいかず「あれはうちのものだ、なんで韓国人に持って行かれてしまったんだ?」と言う者もいる。

 この「おたくの」/「うちの」問題は、中韓の自尊心を巡る摩擦を引き起こす一つの原因となっている。韓国の博物館に行けば、解説やガイドの説明の中に屡々「これは中国より○年早い」、「あれは中国よりこれくらい優れている」等の物言いを目にし、耳にする。笑いを禁じ得ない――中国人も同じではないか?「世界航海に出たのは鄭和(注1)の方がコロンブスより○年早い」とか。最近はとうとう「アメリカ大陸を発見したのは鄭和だ」との新たな証拠まで飛び出してきた。韓国が常に自らを中国と比べるのは、中国が彼らが文化を量る尺度になっている証しなのであろう。

 しかし、よく考えると、この問題の根はもっと深い。もし全てが中国文化の成果であるとすれば、朝鮮民族は何を生み出したと言えるのか?なぜ韓国の民族、歴史博物館に、中国人からすれば一見の価値もない物が並べられているのか、それは韓国人の歴史観と、彼らのアイデンティティに関係している。「他人にとっては取るに足りない物でも自分の物には愛着がある」のである。中国人は韓国民族の地位確立へのこだわりを、弱者の意識、小国意識、果ては「中国の影響からの脱却願望」式に簡単に片付けようとしがちだが、それは我々が韓国人の立場に立って物事を考えることができないからである。

 弱者のナショナリズムはどうしても、失われがちなアイデンティティを何とか守ろうとするための所為になりがちで、ゆえに極端な形で現される。歴史認識などの争議において、韓国人が激烈に反応するのはそのためだ。韓国人は外国が北朝鮮に与える影響にも敏感だ。狭い朝鮮半島の草一本でも傷つけられるのを恐れているかのように。韓国人が日本と独島(竹島)の領土問題で焼身自殺や指の切断を試みてみせるのも同じ理由からだ。

 過去の歴史への過剰なまでの思い入れによって、韓国人の思考には防衛心理と被害者意識が濃密だ。例えば去年の夏、韓国メディアが中ロ合同軍事演習を大きく騒ぎ立てたのも、ちょうど第4回六カ国協議の休会期間と重なったせいで、朝鮮半島へのゆさぶりではないかと過敏に反応したためである。

 それゆえ韓国人に中国人の視点に立った疑問をぶつけることは慎むべきだ。彼らの境遇や思いを理解し、彼らのナショナリズムが持つ距離感を理解することが必要だ。韓国は、中国と近すぎても、遠すぎてもいけない。近すぎれば同化され存在を失う恐れがある。遠すぎれば、中国の怒りを買い、影響は避けられず、助力も受けられない恐れがあるからだ。

 韓国は単一民族国家であり、資源の乏しい、狭い朝鮮半島で暮らしている。だから「実事求是」で言えば、中華民族の豪放磊落や鷹揚さを相手に求めてはいけない。韓国のナショナリズムは外からの圧迫を受ける中で生まれたものだ。まず中国、のちに日本、今はアメリカと、韓国は古来より常に大国の影響下にあった。だから彼らの歴史書には「朝鮮民族は最も無辜で、歴史上最も清潔な民族である、他国を侵略せず、絶えず外国から侵略を受けても、決して挫けず、努め励み現在まで生き延びて来たのだ」と言う、ある種の悲壮感と一種屈折した純潔感が現れている。

 「漢江(ハンガン)の奇跡」を達成した後、韓国の強烈な民族意識は民族の優越感へと発展し、「韓流」の巧みな包装を施されて全世界へ売り出された。しかし理想が現実に勝る韓国のナショナリズムは行き過ぎると厄介である。「黄禹錫神話(注2)」の成立と崩壊は、あたかも現代における「大長令(チャングムの誓い)」のように見えて韓国ナショナリズムの悲劇を感じさせる。いま韓国は日本を追うことに疲れ、背後には中国が迫り、目前に北方の脅威を感じながら、さらに未来への強い危機感を持っている。日本企業とのハイテク競争で劣位にあり、研究開発をアメリカに依存する韓国経済の自立は容易なことではなく、民族の自立もまた然りである。だから韓国人は反日、反米感情を持つが、韓国政府は日本や米国との関係を本当に悪化させることなどできないことをよく知っている。かのエリート達もこのことをよく知るので、酒の力を借り、心の奥底に抱く苦悩、焦燥を晴らすのである。

■韓国人が持つもう一つの中国観

 韓国に行き、初めて知った彼らの中国観がある。韓国の歴史書は1895年の「甲午戦争」を「清日戦争」(Sino-Japanese War)と呼んでいるが、その後の抗日戦争を「中日戦争」(Chinese-Japanese War)と呼んでいる。江華島を見学した際、博物館では「元朝の朝鮮侵入」を「モンゴル人の侵入」と呼んでいて、これでは清朝も元朝も中国の王朝ではないかの如き扱いだ。そこにあるのは「中国人=漢民族」という認識であり、韓国人は中華民族が56の民族によって構成されている概念を受け入れ難いようだ。西洋の民族概念の影響もあるが、「中国=漢民族の中国」という立場を堅持しないと、韓国が中国の朝鮮族と同化されてしまいやしないかと恐れるためではないか。

 中国で博士号を取得した韓国人の友人が私にこう語った。「中国台頭はアメリカにとっては未来の漠然とした脅威かもしれないが、韓国のような隣国にとって、その衝撃は実感を伴うものだ」と。一部の韓国人は中国にしこりを持っている。歴史解釈の食い違い、朝鮮戦争以降に生まれた冷戦感情、それらに重要な根源がある。冷戦時のしこりは往々にして親米感情と結びつく。彼らの歴史解釈は西洋(具体的にはアメリカ)からの輸入であり、今の解釈で過去を量るやり方、西洋の国際体系で東洋の歴史を解釈したものである。数は少ないが、西洋流の国家主権の概念で古代東洋の国際体系を論ずる誤りを犯す韓国人もいる。韓国の学生は西洋言語の影響を強く受けて成長し、漢字を知らないため、漢字で書かれた韓国古代の書籍をハングルや英語の翻訳で読む。これは悲劇と言わざるを得ない。

 韓国人は「朝鮮半島はいずれ韓国の援助により韓国側に統一される」と考えている。それゆえ北朝鮮の指導者金正日が訪中した際、韓国側は喜び、また憂慮した。喜びは、北朝鮮が中国に倣って改革開放路線を進むとの希望からであり、憂慮は、中国が北朝鮮への影響を強めるとの懸念からだ。

 アメリカは危機感を与え、仲間意識を持たせ、視線を遮る等の方法で韓国世論をコントロールしている。ナショナリズムの高まりにより、韓国民衆の反米感情は、強まりはしても危機的段階までには至らない。有事になれば、やはり多くの韓国人はアメリカを盟友とする。これら北朝鮮とアメリカに対する心情が、彼らの中国観に影響せぬはずがない。

■いかに韓国人と付き合うか

 中韓両国の文化的隔たりを考慮し、韓国人の自尊心と脆さを充分に理解すれば、言動もおのずと慎重になる。

 韓国との交流は、共通の利益と関心事に配慮し、「将来的な展望」と「目前の憂慮」のバランスを取らねばならない。単純さと頑なさをあわせ持つ韓国人との交流は、「利」よりも「情」で説く方が効果的である。我が身に置き換えて相手を考えるのではなく、相手の立場から自分を考えることが必要だ。つまりは、理解と尊重が何よりも重要なのだ。

 韓国を理解する際、中国の尺度で韓国を量ってはいけない。特に歴史的な「大中華」意識から今の韓国人を見下すことは禁物だ。韓国人の目で韓国を見なければならない。韓国の様々な角度から韓国を見て、韓国人の境遇と思いを理解するのだ。

 中国人は大雑把で韓国人は細かい。大雑把には大雑把の豪放磊落さがあるが、ムダとムラを生む。細かさには細かさの弊もあるが、緻密な完成度と向上心を生む。我々の物差しで韓国を見下す必要も理由はないのだ。

 韓国との関係を発展させるには、決して営利主義に走らず、相手側のメンツと心情に充分配慮し、謙虚に韓国に学ぶ態度が必要だ。

 良き中韓関係を築くために、以下三つの提案を行いたい。第一はゼロサムゲーム的な歴史観を共通の歴史観に代えるため、漢字と孔子は我々「東アジア」共通の文化遺産であり、その源が中国にあっても、いまや共有の財産であることを強調し、双方が中華思想の悪影響から脱却して、「おたくの」/「うちの」式の論争を避けること。第二は相手を尊重し、現代西洋の国際観で歴史を解釈しないように、共同で両国関係史と東アジア史を研究すること。第三は自我、歴史を超越し、大国・小国意識を忘れ、相手の身になって考え、平等意識を持つこと。

 韓国を見下す千の理由があるとするなら、韓国を尊敬する一万の理由を挙げることもできる。中国はそうしてこそ堂々たる大国である。筆者は近年、欧米を遊学し、数十カ国を訪れた。今回、韓国での十ヶ月に及ぶ滞在で、「欧米など大国との交流では、中国は実力で尊敬を勝ち取った、しかし、近隣小国との交流では、謙虚さと引き換えに尊重を得るべし」と深く悟ったのである。

注1:「鄭和」 は明代の航海家であり、1405年、明の永楽帝の命を受けて、中国の南海から出航、東南アジアからインドを回り、アフリカに到達した。2005年は鄭和の大航海の600周年に当たり、中国で偉績を偲ぶ様々な催しが行われた。

注2:「黄禹錫神話」とは、ソウル大学獣医学教授、黄禹錫(Hwan Woo-suk )氏のヒト胚性幹細胞(ES細胞)研究を巡る韓国内の熱狂を指す。教授は2004年から2005年にかけて「サイエンス」誌において、万能細胞と呼ばれ新しい治療方法に道を拓くとされるES細胞株の樹立に成功したという論文を発表した。これにより、韓国内では「ノーベル医学賞に最も近い国民的英雄」との称賛が一挙に高まり、後にこの研究の倫理的問題やデータ捏造の疑惑が浮上した際にも、疑惑を指摘する意見に対する激しい攻撃が行われた、最終的にデータ捏造を本人が認めたことで神話は一挙に崩壊し、韓国株式市場で一時株価が25%下落するほど深刻な衝撃を韓国中に与えた。

作者は復旦大学アメリカ研究センター助教授、韓国研究センター兼任研究員

(2006年3月6日付け『環球時報』より)