津上俊哉 現代中国研究家・コンサルタント

その他

書評:友人の書いた本・再び
2003/02/14
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永持 裕紀
アジアネットワーク主査、元北京・香港特派員

 新聞報道を活性化するのはなにより特ダネだ。特ダネという言葉を、ここでは多義的に使う。一般的にいうストレートニュースだけではなくて、書き手独自の問題意識、価値観、歴史観、センスなどなどをベースにして、ほかでは読めない「ものの見方」や「視野の広がり」を提示できなければ、紙面は沈んでしまう。いや、それはなにも新聞だけの話ではなく、プリンティングメディア全体に通じることだろう。活字離れの大波をはね返すだけの迫力を「書かれたもの」が備えていなければ、お客さんはページを繰る手を簡単に止める。その迫力とはなにかといえば、やはり、その書き手のオリジナリティーの強さである。

 津上俊哉さんは、通産省で中国のWTO加盟交渉をずっと担当していて、その後96年から北京の日本大使館に経済部参事官として勤務した。彼の立場でのこうした勤務は通常3年任期なのだが、特別に希望して滞在を1年延長し、その延長期間中に中国のWTO加盟が決まった。私は北京勤務時代、主に中国経済の取材をしていたから、大使館の津上さんの部屋によく押しかけた。大柄ながら酒を飲まない彼は、タバコを吸いながら(マイルドセブン系だったか)、とてもいい味のジャスミン茶を振る舞ってくれた。

 経歴から、経済産業省きっての中国通とみなされるようになった彼が今度出版した本は「中国台頭―日本は何をなすべきか」(日本経済新聞社)という。いくつかの点で書き手のオリジナリティーに恵まれた、つまり迫力を持った本だと思う。

 まず津上さんが霞が関の官僚だということだ。官僚が経済運営の主導権を握っていたかつての計画経済、公有経済。そこから中国がどの方向に、どの程度足を踏み出し始めたのかを測るうえで、官僚としてのものの見方、考え方を聴くことは参考になった。たとえば官僚の活動の基礎となる予算、財政をベースに考えれば、当時まだ関心を集めていた「中国の変化にストップがかかり得るか」という設問の無意味さが見えてきた。

 「日本が十分認識してこなかった中国経済の変化として真っ先に挙げるべきことは『公有制経済』の時代がとうに終わったことだ。社会主義の本質は生産手段の公有だったはずだ。企業の資本も国家から出すべきである(国有企業)。しかし、いまの中国はこの公有制経済が、実態としても人々の意識の中でも、とうの昔に終わってしまった。理由は簡単、国庫にカネがないからだ」。

 官僚でも経済官僚だということも大きい。中国脅威論者が、たとえば「日本とは政治体制の違う中国と、自由貿易協定(FTA)など結べるものか」というイデオロギー色の強い意見を吐く。それをこの本ではこのように淡々と事態を伝える。

 「経済統合はFTAの枠組みがなくてもどんどん進むことを忘れてはならない。技術革新とインフラ整備により、人、モノ、サービス、カネ、情報、技術の往来に要するコストや時間が劇的に削減されたからだ。この10年間、そういう事実上の経済統合が最も劇的に進んだのが日中両国の間だった」

 そして津上さんには、80年代後半、日本がバブル経済に浮かれていた時代、霞が関の権力機構の一端にいた自分の責任を問う思いが強いようだ。この本には「世代の責任」というフレーズがよく出てくる。「私たち現役の世代はいま、どのような日本を後代に引き継ごうとしているのだろうか。本書では私が過去10年弱携わってきた中国のことを取りあげたが(……)中国を取りあげても書く側の思いはむしろ日本の側にある」。「躍進する中国を良いライバルに見立て、かつ、新しい日中関係を築いて、日本という国にもう一花咲かせよう。中国のことを書き始めたが、結局『頑張れ! ニッポン』論になった」と記す。

 「国」に「一花咲かせる」という表現は、やはり霞が関風ではあり、正直にいえば私にはこういう発想はない。けれど、津上さんの書くものの隠し味は、その視線がちゃんと「人」にまで届いているところにあるのだろう。たとえば、彼のHPに載っている「私はなぜ『中国贔屓』か?」という論文を読んでみてください。

(Asahi.com ワールドウォッチ 2003年2月14日)