津上俊哉 現代中国研究家・コンサルタント

日中関係

ある米国とのディベートについて
-研究所勤務時代の思い出-
2005/03/14
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 2003年6月、当時勤務していた経済産業研究所の同僚から、私の書いた小論(の英文版)が米国のアジア専門家のネット談話室で批判されたと聞きました。

 小論とは雑誌「選択」2003年6月号「私のAltキー」欄に掲載された「東アジアでFTA盛行—日中だけ『空白』は損」(同誌のウェブが英訳を掲載)、舞台はThe National Bureau of Asian Research(NBR)の談話室、批判したのはエド・リンカーン氏(外交評議会シニア・フェロー)でした。

 エド・リンカーン氏は日本研究者として著名な人であり、小論がそんな人の眼に止まったのは光栄でしたが、批判の内容、とくに日本やアジアに対する辛辣な物言いには承服できなかったので、反論を投稿しました(^_^)

 予想外だったのは、このやりとりが発端となり、東アジアFTAについて第三者も参加して合計十数回の投稿がやり取りされたことです。無名の人間がした投稿を専門家がまじめに読んでコメントしてくれたことに、まず感動しました。

 また、私は最初、「米国はダブルスタンダードだ」という批判的な見方で臨みましたが、それは「米国」を単一人格として見る誤りを犯していることに気が付きました。私自身、中国に対する世の見方を「ステレオタイプで、中国を「単一人格」と見る誤りを犯している」と常々指摘してきましたが、相手が米国になると私も同じことをしていますね(^_^;。このディベートを通じて米国の知的なサークルの良さも少し味わえました。この場を借りて、何度も反論に応じてくれたエド・リンカーン氏や他の参加者にお礼を申し上げます。

 以下はこのディベートのツリーです。ここでは要旨(翻訳・文責は津上)を付けたうえでNBRのリンクを収録してみました。ご興味のある方は原文もご覧になってください。

 その前にまず、私は「選択」誌で何を言ったのかを簡単に要約しておきます。

永く「FTA空白地帯」と言われてきた東アジアにFTAブームが起きている。日本はこのブームのきっかけを作ったが、中国にアセアンとの交渉で先を越されたことから、国内に「乗り遅れる」危機感が高まり、日本とアセアンの間でも交渉が始まった。しかし、農業をどうするのか、日中の間ではFTAを結ぶのか、など、問題が多い。
中国とのFTAも結ぶべきだ。メリットを感じられない人が多いが、FTAがなくても日中の事実上の経済統合は進んでいる。その動きが止められないなら、統合で得られるメリットを最大限吸収する努力をするしか日本に経済衰退を逃れる途はない。中国の投資や観光客、人材の吸収などやるべきことはたくさんある。
結局中国がメリットをくれないと言うより、日本がメリットを吸収する努力をしていない面が大きい。永く中国(アジア)を見下げてきたせいで、そこからメリットを得るといった発想が盲点・死角になっている。日中FTA締結に時間がかかるなら、まずはメリット吸収に必要な中国(アジア)観の修正から始めてはどうか。

日 付 発 言 者 内容
03/06/19 Edward Lincoln 発端になったリンカーン氏の批判。
03/06/25 TSUGAMI Toshiya 私の反論第一弾です。
03/06/25 William Overholt 第三者からのコメント第一号です。
03/06/27 TSUGAMI Toshiya 上記オーバーホルト氏への津上の返事。
03/06/30 Edward Lincoln リンカーン氏のコメント第二弾です。
03/07/01 William T. Stonehill 新たな第三者からのコメントです。
03/07/04 Bernard K. Gordon また新たな第三者からのコメントです。
03/07/05 William Overholt ゴードン氏、津上らへのコメントバックです。
03/07/03 Toshiya TSUGAMI 6/30付けリンカーン氏コメントへの反論です。
03/07/08 Toshiya TSUGAMI 4日付けのゴードン氏への返事です。
03/07/08 Edward Lincoln 私の8日付け投稿へのリンカーン氏のコメントです。

 如何でしたでしょうか?

 2年経ったいま、読み返して二つの感想があります。第一は2年前「誰も関心がない」とリンカーン氏を嘆かせたのとは少し変わって、昨今はワシントンでも東アジアの経済ブロック化に対する警戒感がようやく高まってきた印象があります。

 2年前も米国が日中間で進んでいる事実上の経済統合の動きをもっと適時・正確に認識していれば、「誰も気にかけない」ということはなかったと思いますが、やはり変化が遠方で認知されるには少し時間がかかるということでしょうか。

 2年前は、米国では誰も感心がないのに、こっちが「干渉してくるのではないか」と意識過剰になりすぎて、リンカーン氏に独り相撲を諭されましたが、現実に米国の警戒感が高まってきたのなら、東アジアは改めてNAFTAを引き合いに出して反論すべきを反論し、また、「排他的なアジア人によるFTAをやるつもりはない」と言うべきでしょう。

 第二の感想は、東アジアFTA、特に日本のFTAのスピードの遅さ、「変わらなさかげん」についてです。中国ASEANのFTAに私も衝撃を受けましたが、ややあって気を取り直し、これは日本を国内構造改革に導く新しい「外圧」(モタモタしていたら中国に抜かれるぞ、ASEANをさらわれるぞ!)になるのではないかと期待しました。ここ一時、政官財界にはそういう気分が多少は芽生えましたが、「霞ヶ関as usual」は変わっていないようです。

 人の移動の自由、外国労働力輸入の問題で大きなマイルストーンになるかと期待されたフィリッピンとのFTAもいかにも霞ヶ関流のお茶にごしで終わったようです。注目の日韓FTAも、一時まで韓国に対して「レベルの高い障壁撤廃オファーでなければ受け取らない」と言っていた日本が農水産物に多くの保護を残すオファーしか用意できそうもなく、これからは韓国に同じセリフを使った「ミラーアタック」を仕掛けられそうだと聞きました。

 かつての私の古巣、霞ヶ関を糾弾したい訳ではありません。霞ヶ関の役人は優秀です、特に「クライアント」(官邸、与党、有権者)の「本気」度を読むことにかけては。マスコミや世の理想論者が騒いでいても、クライアントの本気度は「しょせん、これくらい」と読み通して、「オチ」を用意するのです。

 世の中には「霞ヶ関の抵抗勢力が・・・」と論難するポピュリストが大勢いますが、役人にしてみれば「この問題で本気で体を張ろうなんて覚悟のあるヤツは誰もいない、そんな状況でおだて言葉に乗って、後ではしごを外されるピエロなんか御免こうむる!」といったところです。行政運営や組織を預かっているというある種の責任感も与っていますが、とにかく醒めているのです。熱いものが、ない。

 それにつけても、いまのこの有様をエド・リンカーン氏はどう見ているのでしょうか。私が彼だったら「だから私が言っただろう!?」なんて品のないことは言わない。代わりに「日本に期待し裏切られることにかけては、私はキミよりはるかに経験豊かだ」とか言うのかな。


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(2005年3月14日)