津上俊哉 現代中国研究家・コンサルタント

中国経済・政治

中国経済の暑い夏
2008/08
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  7月に入って中国の経済運営が慌ただしくなった。中央指導者が手分けして沿海各省を視察する、地方指導者、経済専門家から相次いで意見を聞くなど異例の動きが続いた。オリンピック後を睨んで、従来の「インフレ抑制最優先」を軌道修正し、「物価と景気の両睨み」に転ずる準備が始まったのだ。しかし、調整は部分的に止まり、引き締めの基調は大きく変わらないだろう。

  2008年上期の中国GDPは前年同期比10.1%増となり、四半期では12.7%の伸びを記録した昨年第2四半期以来4連続四半期の成長減速となった。先進国経済が軒並みリセッションの瀬戸際にあり、経済に変調を来す新興国も増えている中、中国が依然として二桁成長を維持したのは上出来の部類だが、国内では世界経済の変調に加えて、暴落した株価が持ち直さない、不動産市場でも価格下落が目立ち始めるなど、相次ぐ軟調要因を前に悲観的な空気も強まっている。

  この情勢を受けて、従来「インフレ抑制最優先」だった経済運営方針が「経済の安定的で高めの成長とインフレの抑制の両者の均衡点をうまく把握しなければならない」という言い方に変わってきた。昨夏から始まった物価上昇が一年を経過し、対前年伸率が低下する時期に入ったので、景気にも目配りする余地が生まれ始めたことが背景にあるが、もう一つ要因がある。早晩エネルギー価格引き上げを認可せざるを得ないので、物価最優先の政策スタンスを予め調整しておく必要があるのだ。

  石油価格は4月に一度引き上げられたが、バレル当たり90ドル水準までの調整でしかなく、国際油価はその後さらに30〜50ドルも上昇、炭価もつられて高騰している。エネルギー値上げは物価への波及が大きく、転嫁を認めればCPIを0.4%程度押し上げるので、当局は認可を躊躇ってきたが、逆ザヤを抱えこませたせいで石油・電力の供給サイドには赤字が溜まり、末端では石油品薄や停電騒ぎも起きている。逆ザヤは省エネ促進のためにも有害、よって調整は時間の問題であり、理屈は「今上げないと上げ幅がもっと大きくなる」だ。

  「安定成長の維持」が強調され始めた背景には、当然ながら景気の減速感が強まり、成長牽引の主役が見えなくなくなりつつあるというマクロ判断がある。しかし、もっと直裁な理由は、特定のセクターや地方が深刻な打撃を受けて悲鳴を上げており、共産党も政府もこれを座視できなくなったことだ。冒頭に述べた異例の会議開催は、苦境を訴え救済策を求める声に党や政府として耳を傾ける政治的姿勢を示す必要があることを物語る。そういうセクターと検討されている課題は次のとおりだ。

○加工貿易型輸出産業:諸コストの高騰、人民元の切り上がり、世界経済の変調など、災難がいちどきに押し寄せた結果、広東省や浙江省など関連企業が集中する地域では企業の操業停止や倒産が相次いでおり、雇用問題にも繋がりかねない。このため為替レート調整停止は無理でも、せめて影響緩和のために、貿易不均衡の是正や産業の高付加価値化を目指して導入された輸出増値税の還付率引き下げ措置だけでも元に戻して欲しいという要望がある。

○農業:農産品価格は上昇したが、流通マージン高騰に食われて農民の手取収入が増えないところに農業資材や燃料が大幅に高騰したため、農家の実質収入(利益)が落ち込んでおり、テコ入れをしないと生産意欲を減退させて食品価格の一層の高騰を招きかねない。このため、既に市場価格を大幅に割り込んでいる政府の穀物最低買い入れ価格の引き上げ等が求められている。

○不動産業:去年までの住宅高騰が一服、株価下落による負の資産効果も働いて消費者が買い控えに入った結果、住宅販売の新規成約額が大きく落ち込み、一部地域では価格も下落し始めた。金融引き締め策も業界を痛打し、融資を絞られて資金繰りに詰まる企業が続出している。

  不動産業と建築業を足すと今やGDPの1割、経済成長の2割に貢献する「基幹産業」であり、その落ち込みは経済全般に悪影響を及ぼす、住宅価格の暴落を招けば不良債権の急増など金融にも深刻な影響を及ぼすといった援護射撃が現れる一方、もともと価格高騰を防止するために講じた引き締めの効果が現れたのに、いま救済のタオルを投げ入れたのでは意味がないという批判もある。特定業界のために金融を緩和する訳にもいかず、意味ある対策が出てくるか微妙なところだ。

  特定セクター、地域を念頭に置かない経済テコ入れ策も検討されており、以下のような政策が議論されている。

○低所得層への生活保護手当の引き上げ:インフレで最も打撃を受ける恵まれない階層に対策を講ずる必要は言うまでもないが、消費喚起効果が高く、財政出動による需要創出策としても優れている点が「売り」だ。

○一般減税:個人所得税の課税最低限(現行は月収2千元=約3万円)の引き上げや、貯蓄利子税の税率引き下げ(金利を上げずに利子所得を増やす)が提唱されている。景気は減速しているのに上半期の中央・地方税収が前年比30%という法外な伸びを示して「取りすぎ」が批判されていることが一背景だ。

○公共事業などの財政出動:四川大地震復興対策という「格好の材料」がやってきた(不謹慎な言い方だが)。対象は公共事業だけではないが既に本年分7百億元の中央財政投入が決まり、金融緩和の地域特例も講じられた。特定地域に限定した対策なので投資ブームが全国に波及する心配がないうえに、既に「復興特需」が生まれて建築資材も値上がりするなど、効果は全国に及びつつある。逆に言えば、これ以上全国的な規模で公共投資出動を考える必要は減じた。

  総じて言えば、「あるものは保ち、あるものは抑える(「有保有圧」)」式のメリハリある対応が強調されている。いわばハードヒットされた領域にはパッチワークを施しつつも引き締め気味の政策基調は維持する、全面的な舵切りを行う気はないし、許される環境にもないという判断だと見られる。

  しかし、経済問題に限らず、中国全体に重くのしかかっている問題が二つある。一つは経験したことのない世界経済の変調だ。上述の「基調維持」の方針にも、国際情勢が転変しているので景気急落への警戒は怠らないという留保がついている。また、実体経済の先行きもさることながら、米ドル価値の行方、コモディティ市場の投機、米国住宅公社(GSE)債券の先行きなど、中国が不案内を自覚する「マネーの異変」に強い不安と緊張を覚えている。「うかうかするとババを中国に押しつけようと企む輩が出てくる」と警戒しているのだ(それに比べて日本の呑気なこと!)。

  もう一つは北京オリンピックだ。チベット、地震など凶事が相次いだせいで、何か良からぬ事が起きるのではという不安と緊張が中国を覆っている。開幕後に中国選手の大活躍でもあれば俄然ムードが変わるだろうが、いまは祝賀ムードからは遠い。

  2008年はいろいろな意味で、中国人にとって忘れられない「暑い夏」になりそうだ。

(2008年8月)