津上俊哉 現代中国研究家・コンサルタント

中国経済・政治

「値段」の変化が映す中国経済の変化
2008/02
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2007年、中国の名目GDPは世界第四位(340兆ドル)、輸出入総額は二位(2兆1,700億ドル)、外貨準備高は一位(1兆5,000億ドル)になった。過去5年間の中国の経済成長は実に目覚ましかったと言えよう。単に図体が大きくなっただけではなく、経済成長モデルに歴史的転換が起こりつつある。以下では、いくつかの「値段」を題材に取って、その変貌の一端を見てみたい。

一.物価上昇の鎮静化が最重点課題に

 第一は物価である。中国経済は2007年後半、物価上昇率の高騰に見舞われ、食品は対前年比20%近い高騰、総合CPIも一年定期預金金利4.14%を大きく上回る6%台の危険水準にある。

 物価上昇の大きな原因は豚肉に代表される食品価格の高騰や外来のエネルギー・原材料価格の高騰だが、賃金上昇など国内のコスト要因も加わっている。いったんインフレ期待に火がつけばコントロールが難しくなるから、政府は物価の沈静化に躍起になっている。

 過剰流動性や景気過熱の側面から言及されることの多い物価問題だが、筆者は中国経済の構造変化も物価に影響を及ぼしていると思う。というのも、昨年「中国は膨大な余剰労働力があるという従来の予想を覆して、実は完全雇用状態に近づいている」という主張が大きな論議を呼んだからだ。実態調査をしてみると、働きに出られる若手労働力は今や農村にもあまり残っていなかったのである。

 完全雇用状態に近づくと賃金が全面的に上昇し始め、サービスを中心として物価が上がり始める。高度成長経済はどこもこの問題に直面する。日本の場合、昭和40年代にそれが起き、物価上昇が社会問題化、流通・サービス業の生産性向上が叫ばれたりした。中国でも今後似た展開になると思う。

 しかし同時に、それは成長の果実を如何に広範な国民各層、経済の諸領域に均霑していくかという問題と裏腹の過程であり、戦後日本経済はこの課題を熱心かつ周到に追求した。

 ある意味で、中国共産党が「和諧社会」の名の下に目指す政策は日本のこの経験とだぶるものがある。とくに、低賃金で搾取されてきた出稼ぎ農民の処遇改善のために、最低賃金の大幅引き上げや労災保険の強制加入を進めたり、農村への社会保障制度導入や公共投資増大に懸命になったりしている姿にそれを感ずる。

 そうするのは、GDPや税収ばかり追求する従来の近視眼的成長モデルが限界に来たためである。軽視されてきた環境や安全の領域でも見直しが急だ。従来ノーコストで社会に撒き散らされてきた損失(労働搾取、環境破壊、事故の多発等)を内部化しようとする動きだと言えるが、それは同時にコスト増を招き、経済社会における付加価値の配分を変える。中国はもはや、そこに手を付けなくては前に進めない状態に達したということであろう。その意味で、物価や賃金の行方は、今後の中国の「国の形」を占う重要な意味を持っている。

二.人民元レートの上昇加速

 二番目に注目したい「値段」は為替レートである。これまで調整速度が遅かった人民元レートが急上昇し始めたのだ。物価問題が深刻化しただけでなく、米ドルも急落した昨年12月から1月までの2ヶ月だけをみると、年換算18%の勢いで上昇している。

 しかし、サブプライム危機以降、米国を筆頭に世界が景気後退に陥る懸念が増している。そこに元高が加わると、中国の輸出はどうなり、経済成長にいかなる影響が及ぶかは大きな懸念材料だ。

 2007年の中国経済は、統計上は成長の過半が貿易黒字(≒純輸出)で説明できる計算だ。しかし、かくも外需に依存しているならば、中国はもっと世界経済の先行きに一喜一憂して然るべきなのに、その気配をあまり感じない。それは国民多数が楽観的に過ぎる、あるいは輸出の主たる担い手、外資企業の経済貢献を実感していないせいなのか、それとも実は中国はGDP統計が示す数字よりはるかに内需主導で成長しているせいなのか・・・筆者自身よく分からないが、答えは今後明らかになっていくだろう。

 いずれにせよ、元高の加速によって間違いなく起きる変化は、我々からは中国経済が成長以上に大きく見えるようになること、そして海外から中国への投資はコストが割高になり、中国から世界への投資は逆にコストが割安になるということだ。中国の対外投資は元高を招く資金流入を相殺する狙いも込めて、昨年から本格化し始め、政府による巨大な投資ファンド(SWF)も運営が始まった。証券投資はさっそく世界中の株安と元高で差損を被ったが、資源権益の買収や外国銀行の買収などの戦略対外投資は間違いなく加速するだろう。

三.株価の行方

 詳論を避けるが、中国株式市場は需給悪化を招く改革を断行したせいで、2004年以降、株価指数が約半値に落ちた。この改革が峠を越した2006年初めから株価が上昇に転じた、までは良かったが、今度は天井知らずの株高になり、昨年秋にはついに底値から四倍という高値を付けた。株価水準を示す指標の一つにPER(株価を一株あたり利益で割った「株価収益率」)がある。国際的な相場は20前後だが、いまの中国市場は平均でも50〜60、100を超える企業もたくさんあり、如何に中国経済が好調でも説明がつかない水準だ。おまけに、高株価を謳歌する企業の中には、株投資の利益が収益にかなり含まれている会社があり、往事の日本の「財テク経営」を彷彿とさせる。その中国株価が、サブプライム危機が深刻化した昨秋以降、既に二割近く下落した。これまでの株価水準の異常を一番よく知る証券業界関係者には更なる下落を予想する人も多く、「中国経済は北京オリンピックで終わり」という予想が現実味を帯びてくるようにも感じられる。

 しかし、事態はそうは進まないと筆者は思う。この5年間に中国政府の経済力が飛躍的に高まり、経済が過度に減速したら、アクセルをふかす余力が十分あるからだ。経済過熱を防ぐために、金利を過去3年間に2%以上引き上げたうえに、「窓口指導」で強権的に銀行融資を絞っている。不景気になりそうなら、融資引き締めを緩和し、利下げすればよい。また、いまは過熱防止のために公共投資も抑制しているが、政府は空前の税収増で潤っている(2007年中央・地方税収総額(速報)は対前年比30%増の4兆9,500億元(約75兆円))。膨大な利益と時価総額を誇る国有大企業の存在も併せ考えると、財政出動の余地は十分だ。オリンピック年である今年、株価が急落する可能性はそうとう高いが、それとて、限度を超える下落だと感ずれば、(善し悪しは別に)日本がかつてやったPKO(政府による買い支え)を発動する余地もある。

 世上、中国経済が近く「コケる」のではないかと、怖さ半分、期待半分に憶測する向きが多いが、その種の予想は過去5年間一貫して外れてきた。政治にせよ経済にせよ、現下の中国共産党の執政能力は相当高いことを事実として承認すべきかもしれない。少なくとも日本人は他人の心配をする前に、自分の通信簿を心配した方がよさそうだ。

(月刊『東亜』2008年3月号所載)