私は親元の通産省では「中国贔屓」で通っている。
あまりにWTO加盟問題などに入れ込んできたので、「外経貿部のまわし者」
と陰口をきかれたことも一再ならずだ。米国で言えば、さしずめ典型的な
"China appologist" といったところであろう。
「ちょっと待ってくれ、そんな簡単に『レッテル』を貼らないでほしい」と思うこともある。私にだって、中国について大嫌いな部分はあるのだ。
中国の何が嫌いと言って、中国人の公の場における「個」、主体性のなさほど嫌いなものはない。
指導者のツルの一声があると、あるいは世間を吹く風が少しでも特定の方向を向くと、これにササッと迎合する、眼中には
「保身」 しかなくなる風がやりきれない。 そういう訳で、それがとりわけ顕著な「中国政府」は好きになれない。中国社会の至る所に見られる公徳心、相互信頼の欠如、自分(たち)さえ良ければ人はどうなっても構わない風潮とかもイヤだ。
しかし、イヤだと思うと同時に、私はそれを「中国人がこの150年間あまり、苦労をしすぎたせいだ」と感じている。
保身第一のメンタリティや相互信頼の欠如は、建国後の50年間だけでも、粛正の嵐が何回中国を襲ったかを抜きに語ることはできまい。
つい四半世紀前ですら、信じていた友人に密告され、甚だしきは肉親に裏切られて社会的リンチの標的にされ、命を落とした人がいるのである。
そういう人間社会の辛酸を嘗めてきた中国人に向かって保身の卑怯さ、相互信頼の欠如を論難するには、こちとら、少しばかり「ぼんぼん育ち」すぎるのではないか。
東京でこんな話をしていたら、相手から「キミは本当に中国が好きなんだねぇ」としみじみ呆れられてしまったことがある。・・・
そうなのだ、私は詰まるところ、中国贔屓なのだ。
当地で暮らし、中国語も少しできるようになってから、中国人が更に気に入った。
彼らは基本的にネアカで度量がある。
こんな経験がある。北京で暮らし始めたばかりの頃、カミさんと一緒にチャリンコで市内見物をしていたら、何だか曰くありげな煉瓦造りの建物が目に入って興味をそそられた。
門のところで、通りがかったその「単位」の人と思しき人に「建物を見たいので、中に入って見ても良いか」と尋ねたところ、相手は少し怪訝な顔をした。
どこの国の人?
日本人です
...この建物が何だか知っている?
さぁ...
...これは戦前の日本憲兵隊本部だよ
一瞬凍りついたこっちを見て、その人は笑って言った。
「かまわんよ、お入り!」
そのヒトは単位のリーダー格らしく、通りすがる人は皆、彼に挨拶をしていく。
中には「(その二人)誰ですか」 とか、訊く人もいた。
「いやぁ、日本人なんだけど、この建物が何か知らずに、中を見たいと言ってきてさ...」 「アハハハ!」
集団としての、あるいは政治モードになっているときの中国人の日本への反感、猜疑心は本当に根深くて暗澹とさせられることが多いが、個人になったとき、こっちに面と向かっているときの中国人は、好奇心旺盛で、そういう面を見せない。
もう一つ、私的なエピソードがある。 こちらはもっと根深いところで、中国贔屓になった原因ではないか、と自分で思っている話だ。
4〜5年前、中国のWTO加盟交渉でジュネーブにしょっちゅう通っていた時期があった。
あるとき、中国側が直前に発表した「自動車産業政策」を説明する機会があった。
出席した西側の代表からは、「なぜ、国家が重要産業を指定して、生産目標や国産化目標を指導するのか」といった質問が相次いだ。
「中国は市場経済を目指して改革を急いでいる、しかし、残念ながら、現状は甚だ幼稚で、市場メカニズムによる需給調整がうまく働かない、どうしても国家が介入してメカニズムの不十分な点を補わないと、経済は混乱してしまうのが実状である。」
説明したのは国家計画委員会の産業政策課長で、学究的な雰囲気の人だった。
英語も流ちょうで、後で訊いてみると、London
School of Economics の留学経験のある人だった。
しかし彼が説明している間、私はまざまざと見た。
質問するアメリカ、EU等の代表の顔に浮かぶ軽侮、嘲笑を。彼らはもちろん市場原理の信奉者であるから(WTO畑の人達なのだから)、国家主導の産業政策を肯定することは決してないだろう。しかし、そのニヤニヤした顔や目を剥いてみせたりする仕草はそれ以上のことを物語っていた。「中国人が『市場経済目指して頑張っている』ってさ!」
私は直感的に、この軽侮は日本人も過去、何度も経験したものだと感じた。
いくら一生懸命説明しても欧米人に分かってもらえない、相手が分かろうとしないという哀しみはアジア人が共有するものではないか...。そして説明を続ける彼に心から共感を感じた(今でも私の最も良き友人の一人でもある)。
今日思えば、このとき彼が説明したのは、中国で言う「重複建設」(各地が採算も売れ行きも顧慮せずに盲目的な設備投資に走る結果、起きる深刻な設備過剰)のことだった。
今日でこそ「中国経済の基礎知識」になっているが、95年当時はまだ国内でも警鐘が鳴らされ始めたばかりだった。
この病理に対する正しい処方箋が「国家産業政策」かどうかは、また別論である。
「国有企業」の改革であり続ける限りは、いくら口を酸っぱく「政府と企業の分離」を説いたところで本質は変わらず、この病からの決別もできまいな、と私自身思う。
しかし、日本は過去どのような道を辿ってきたか、また、社会が市場原理を受容できるところまで進歩していないのに、IMFや世銀のエコノミストの言いなりになって急進的な「市場化」改革を進めたロシアは、今日どうなったか。
少なくとも私は、未熟で遅れた中国の社会を前にして、「どうしたらよいか」と考え込む中国の役人やエコノミストを嗤いとばす気には到底なれないのである。
突き詰めて考えてみると、私の中国贔屓の根底には、どこか欧米から軽く見られ、なかなか対等に扱ってもらえない、同じアジア人への共感が伏在している気がする。こんなことを言うと、今度は「マハティールのまわし者」と思われてしまうかもしれないが。
しかし、金融危機に襲われ、欧米の投機資本に徹底的にやられた去年の惨憺たる経験を経てみて、「欧米とアジア」という視点を思い出した日本人は数多いのではないか。
私自身は、日本人の経済的台頭を見て「何かおかしい、ゲームのルールに欠陥があるのではないか」等々と思い続けてきた欧米人が「所詮市場経済の分からない、改革できない日本人」を、積年の鬱憤を晴らすかのように批判するのを見るにつけ、どうしても、「何か」を感じざるを得ないのである。
だからと言って、マハティールのように、欧米人を人種差別主義者だと糾弾したい訳ではない。アジアが軽く見られる原因は人種だけではない。
局地戦では反論できても、思想の根底を形作るcomprehensiveな体系を欠くこともアジア人が欧米にかなわない大きな原因であると思う。
原因は我が方にもある。
何よりも、狭量なアジア主義に固まって欧米人との関わり合いを拒むところからは、決して進歩は生まれないことだけは確かである。
どこかで軽く見られているという苦い感覚を感じつつも、言葉のハンディを抱えつつも、めげずに欧米人と関わり合っていかなければ、この問題はいつまで経っても解決しない。
それを言った上で思うことは、中国と日本がもう少し共感し合い、連帯することはできないか、ということである。
97、98年と、米国と組んで2年連続で日本をコケにした江沢民主席は、今年、在ユーゴ大使館爆撃という報償を以て報いられた。
コケにされた不快感が消えない多くの日本人から見れば、「ざまぁ見ろ」であろうが、そこには(日本人の好きな)「スッとした」以上のなにものもない。
我々には「お互い貶し合い、蔑み合っているだけでよいのか」という反省が必要ではないだろうか。(ごく少数派であるが)中国の最も良質のインテリも、いつもそのことを考えている。